本書『悲しみにある者』は、高名な女性作家ジョーン・ディディオン(1934年〜)が夫と死別した後の一年間と一日を描いたノンフィクションである。ディディオンが40年間連れ添ったやはり高名な作家ジョン・グレゴリー・ダン(1932年〜2003年)は、夫妻の一人娘であるクィンターナが生死の境をさまよっているさなかだというのに、突然の心臓発作で亡くなった。本書は、愛する者を永遠に失ったディディオンの悲しみと、そこから立ち直ろうとする努力についての物語である。
普遍的なテーマを扱っているとはいえ、読者はここでお涙頂戴の文章を期待してはいけない。ディディオンは、自著の一冊の序文で、“That is one last thing to remember: writers are always selling somebody out.” と述べているようなまさにプロフェッショナルなwriterである。本書では、臨場感あふれる1年と1日の間のできごとと、甘やかなものもあればほろ苦いものもあるが、夫や娘との生活についての回想とが綯い交ぜに叙述されてゆく。原著は全米図書賞をノンフィクション部門で受賞しているが、はて我が国であったなら、どんなジャンルに区分けされたであろうか。
本書の原題は The Year of Magical Thinking である。英和大辞典で調べると、マジカル・シンキングとは「実際には相互に無関係なものの間に関係があると思い込み、一方に働きかけて他方にある種の効果をねらうことができるとする考え方」という意の心理学用語として出てくる。ディディオンほど明晰な人間でも、ジョンの突然の死という喪失を素直に受け容れることはできない。「ジョンを甦らす」というのが、たとえマジカル・シンキングのトリックを使ってでも、ジョンの死後の何ヶ月間かを通してのディディオンの秘められた関心の的だった。
ディディオンは、率直に自己の内面を省察し吐露する。また、周囲の人間たちの反応や彼らが自分に向ける期待を鋭い目で観察する。愛する者を失った人間は、ディディオンの内省や観察の中に、たくさんの真実が含まれていると感じ入ることだろう。「それまで私は悲しむことができただけで、哀悼することはできなかったのだ。悲しみ(grief)は受動的だ。悲しみは生じてくる。だが、悲しみを処理する行為である哀悼(mourning)には注意力が必要だ」「たくさんの人が服を寄付する必要について語ってくれた。たいていは善意からの、ただ(結局わかったように)見当違いのかたちでの、私がそうするのを手伝ってあげるという申し出だった。私は嫌だと言い続けた。なぜかはわからない」「悲しみは遠ざかることがない。悲しみには波動があり、発作が起き……突然の不安としてやってくる」「結婚は記憶であり、結婚は時間なのだ。……結婚は時間であるだけでない。結婚はまた、逆説的だが、時間の否定でもあるのだ」。
また、ディディオンは「困った羽目に陥ったなら、読書し、学び、調べ、文献にあたれと、子どもの頃から躾けられていた」。ディディオンは精神医学的なものから文学作品、通俗的な読み物にいたるまで、読書し文献を渉猟する。死別にも「一般的な死別」と「病理的な死別」の二種類があることを知ったのもその成果である。
本書の叙述は、時制を自由に行き来する。加えて、すぐれた効果をもたらしているのだがリフレインがきわめて多い。また、ギリシャ悲劇や聖書から始まって、詩や小説といった文学作品、夫ジョンとディディオン自身の旧作中の文章にいたるまで引用が多いうえに、ハリウッドとの関わりが深かったためヒチコック作品や映画人も随所に登場し、サブカルチャー的なものも含め固有名詞が頻出する。アメリカ人であれば、必ずしもハイブラウな読者でなくても、例えば、ジュリア・チャイルド、シドニー・コーシャック、ルイス・ファラカン師、キャサリン・ロス、ドナルド・ラムズフェルドといった数々の有名人の名前に興味を引かれることであろうし、それがアメリカで大ベストセラーとなった所以の一つであることは確かであろう。
今ひとつの本書のテーマはしばしば重篤な状態に陥る一人娘のクィンターナの容態と、繰り返される入退院である。アメリカの医療制度の下では、患者の経済力やコネによって受けられる医療の質が大きく異なっている。勿論、ディディオンは娘のために奮戦する。「困った羽目に陥ったなら、読書し、学び、調べ、文献にあたれと、子どもの頃から躾けられていた」人間として、入門的医学書を頼りに、医師たちとも攻防を繰り広げる。UCLAメディカルセンターからわざわざNYのラスク研究所までクィンターナを空路医療搬送までしてのける。この件りなどはシニカルなヒューマーに彩られている。
素訳に限って言えば、1月26日に始めて3月半ばに終えている。2月に訳者は40年を超える旧友を失った。そして、3月11日には慶應義塾大学出版会の本社で長い大きな揺れを何度も感じた。東北地方太平洋沖地震の揺れであった。
本書を、愛する者、近しい者を失った数多くの方――悲しみにある者――に捧げたい。
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