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巻頭随筆

教育とSOSを汲み取る専門性と想像力   松ア佳子

 

 児童虐待相談件数は統計をとり始めた平成二年以降増え続け、平成二十九年度は一三万件を超えています。児童虐待がどのようなものか、またその子どもへの影響などを学ぶなかで、以前に関わった子どもたちのSOSに十分気づかなかったと思い起こさせるケースがいくつもあります。特に性的虐待やネグレクトに関しては後悔とともに思い出されることが多々あります。

 中二のAさん。夜間徘徊、不純異性交遊などで警察通告を受けて、何度も一時保護をし、そのたびに父親が引き取っていました。Aさんが幼稚園生の頃に父母は離婚し、父が引き取り育てていました。小学校時代のAさんはしっかりもので学校でも成績は良く、先生のお手伝いもする子でした。Aさんが荒れ始めたのは中学一年の秋からでした。髪を染め、教室に入らない。友人とのトラブルが増え、夜間の外出が頻繁になりました。しかし、家庭訪問をすると、座布団をすすめてお茶をいれてくれる主婦のようなAさんでした。父親は「なんでこの子が外泊するのかわからない。友達が悪い」と心配し、時には手を上げたりしていることもあったようです。Aさんは父親の前では大人しく正座をして聴いていました。子どもを引き取り懸命に育ててきた父親というフィルターがかかったままの我々は、Aさんの交友関係にばかり目を向けて、外泊の真の原因に気付かないままでした。Aさんは施設入所後しばらくして、初めて父親の性的虐待について話しました。今考えるとなぜ気づかなかったのか、赤面するばかりです。Aさんのあまりの行儀のよさと、外泊や異性交遊という行動とのギャップなど示唆されることはいくらでもあったのではないかと思っています。

 また、十七歳のBさん。高校中退後不純異性交遊で保護され、相談員の面接のなかで、今までで一番楽しかったこととして児童相談所での生活をあげたため、当時どんな子どもだったのか教えてほしいとのことでした。小学五年生の頃万引きを繰り返すことで、補導され一時保護していた子どもでした。母親は繰り返される万引きに怒っており、仕事が忙しいからとなかなか面会に来ませんでした。口数が少なく、無表情な子どもでしたが、保護所での生活のなかで少しずつ甘えたり話をするようになりました。施設に行くことには首を振り、母親も同意しないため、家庭に戻った子どもでした。一時保護所では、保育士や児童指導員は子どもができるだけ安心した生活を過ごすことができるように、心をこめて接しています。しかし、学校にも行けない非常に閉鎖的な生活でもあります。それが、この子にとっては、今までの人生で一番楽しかった時間なのかと涙が出て仕方がありませんでした。無表情で淡々と話す中に、不安や不信、母への思いなど様々な気持ちを隠し、万引きという形でしかSOSを出すことができなかったこの子の孤独をどのくらい理解できていたのかと悔やまれます。

 子どものSOSは、助けてという言葉で発せられることはほとんどありません。むしろ万引きや家出、学校でのトラブルなど、大人から見ると問題行動として出されることが多い状況です。そうでないと大人が気づいてくれないのかもしれません。子どもの言動に耳を澄まし目を凝らして、SOSを汲み取る専門性と想像力が必要です。


注:事例は個人が特定できないよう本質を損ねない範囲で再構築したものです。

 

 



 
執筆者紹介
松ア佳子(まつざき・よしこ) 

広島国際大学特任教授。臨床心理士。専門は臨床心理学。九州大学文学部心理学専攻卒業。児童相談所心理判定員、児童相談所長、九州大学人間環境学研究院教授等を経て二〇一七年四月より現職。著書に『公認心理師の基礎と実践17 福祉心理学』(共著、遠見書房、二〇一八年)、「社会的養護におけるアタッチメントの問題」『教育と医学』第64巻11号など。

 
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