「冷やっけぇなあ」「小指なんて伸びねぇぞ」「ミツハシ先生は?」「おっちゃ知んねぇ」「なんか忙しいんじゃねぇか」隣席の大根、後ろのカバ、前席のアクツ、サクライ、ハセの坊っちゃん。一時間目『良い子の時間(修身)』の授業後。太平洋戦争前期、一九四三年二月厳冬。冷えきった教室。藤沢第一国民学校二年一組でのことだ。
「瞑目! 手をハの字に、机の上! 熱田(あっつ)島や満州の兵士を思え!」と。替わりにきた三白眼の若い教師だった。一も二もなくこの号令に従いはしたものの、しかし、私たちの“心の出席”はなかったのか、その話の内容は全く記憶に残らない。
担任の三嘴先生ならこんなことはなかっただろう。その「学級づくり」の仕事は第二段階に移っていた。子どもたちは、この先生の「言うことをきく」ようになり、九九の唱えや漢字の読み書きなど「授業後にも」競い合う「学習集団」になりつつあった。
二年生のその時では、子どもの眼からする学級とは、せいぜい「前後左右の席」の子、離れた席にはたまさかの「遊び仲間」が二〜三人、「当番」で回り合わせた者、放課になると一斉に遊びには出るが名前は定かでない連中といった子どもたちのことだった。そして担任の先生。その授業の「いつものやり方」。「俺たち一組だよナァ」という漠とした集団意識ができかかっている。そしてまだまだ「単純な力」によって順位が影響されやすい段階の子どもたちだった。
学級崩壊とはなにか。そして建て直しとは?
戦争や大災害といった社会的「非常事態」に際しては、国家や行政システムの意義や意図まで、子どもにも見えやすい。学校教育の意義が、戦時中の前掲例のように、取り巻く「世の中」の、単純な対処の必要感や権力関係によって強力に枠付けられている場合や、スポーツや芸能など、見えやすい目的・手段関係の世界では、子どもたちは偏りながらも比較的容易に先生の「言うことをきく」成員となる。しかし、それらにしても学級が学習集団として構成されるには、適切な指導と、発達的規模の時を要したのだ。
現在、世に瀰漫する学級観は、この昔日の例の原形のまま取り残されて幻想的である。
世の中の実質は変わっているのだ。価値は平坦多様化し、大量の情報処理も高速化しているのだ。それにもかかわらず、学校教育システムは旧態の箱物型と内容規定を脱していない。若い新任の教師の初手からの齟齬は、教室に閉じ込められている四十人は、右を向けと言えば揃って右を向く子どもたちだと思って来るからだ。そしてやがて、自分たちの用意する教育が単に通過儀礼の具とされ、真には求められていないことを知って愕然とする。
末端として現実化した「学級の問題」を一部“荒れた”子どもや“力量のない”とされる教師の責に負わせて、子ども同士や世代間の相互学習を拓く交流への社会性や、サイバーメディア上での送受信能力への語学力を育て得ないカリキュラムやシステムの形のまま、学校エスカレーター神話の幻想を残す現状では、幼小中高大リクルートと行きつくが「就活」にも「婚活」にもとりはぐれて呆然とする大量のニート(実は職場でも)を生み出して終わることになる。
身近な地域の納得を取りつける努力などして報告される稀有の成功は、貴重な参考事例ながら、当然、すべてへの解答とはならない。
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