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巻頭随筆

「教える専門家」から「学びの専門家」へ    佐藤 学

 

 21世紀の教師は「教える専門家」から「学びの専門家」へと転換する。「学びの専門家」としての教師は何をどのように学ぶべきなのか。教師は職人(craftsman)であるとともに専門家(professional)である。教師の学びは、職人としての学びと専門家としての学びという二つの性格を併せもっている。

 職人としての学びは、修業による「わざ」と「型(スタイル)」の習得によって達成される。職人の「わざ」は、訓練で獲得される技能(skill)ではないし、知識で伝授される技術(technique)でもない。教師の「わざ」を技能や技術で認識する人々は、教師の実践をあまりに単純にとらえている。職人としての教師の「わざ」(artistry)は、模倣と伝承と創造による修養によって獲得される。この職人気質をもたない教師は、いくら学術的理論的に卓越していても教師としての実践は十分には遂行できない。

 専門家としての教師の学びは、医師や弁護士や建築家と同様、理論(知識)と実践(経験)の統合によって達成される。専門家としての教師は、他の専門職と同様、知識基礎(knowledge base)を必要としており、その知識基礎は市民的教養、教育学の教養、教科の教養によって構成されている。これら専門家としての知識基礎に精通していない教師は、いくら職人としての「わざ」を備えていても質の高い授業と学びを教室で創造することはできない。

 したがって、教師の学びの中心的な方法は、他の専門家の学びと同様、ケース・メソッドにある。医師における臨床研究、弁護士における判例研究と同様、専門家としての教師の学びは授業の事例研究が学びの中心となる。しかし、教師の実践は、医師や弁護士などの他の専門家以上に複雑であり複合的であり、不確実性(uncertainty)に満ちている。また医学や法学のように教育学は確実な知識や理論を提供してはいない。そこに専門家としての教師の学びの難しさがあり、同時に、教師の学びの創造性と奥深さがある。

 かつて、教師たちに授業実践の改善において何が最も有効であったか、誰の助言が最も有効であったかを大規模に調査したことがある。その結果は、最も有効なのは自らの授業実践の反省、次に有効なのは同じ教科もしくは同じ学年の同僚の教師の授業の事例研究、その次に有効だったのは校内の授業研修、その次に有効だったのは市町村教育委員会もしくは組合の研修、そして最後にあげられたのが、大学教授の講演であった。有効な助言者も同様で、最も有効な助言者は同じ学校の同僚教師、次に有効な助言者は同じ学校の校長と教頭、その次に有効な助言者は近隣の学校の教師、その次に指導主事、ここでも最後は大学教授であった。このことは、教師の学びが自らの授業実践を中心として同心円的な構造で組織化されていることを示している。

 教師は一人では学び成長できないことも重要である。まず教室を開き合い、授業実践の事例研究を中心にして、専門家として学び合える同僚性(collegiality)を学校内に築くことが、何よりも肝要である。子どもの学びに学び、教室の事実に学び、教材の発展性を学び、自らの教育哲学を探究し続けること、その日々の蓄積が教師の学びの王道なのである。

 
執筆者紹介
佐藤 学(さとう・まなぶ)

東京大学大学院教育学研究科教授。教育学博士。専門は学校教育学。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。三重大学教育学部助教授、東京大学教育学部助教授を経て現職。日本教育学会前会長。著書に『教師というアポリア』(世織書房、1997年)、『学びの快楽』(世織書房、1999年)、『教師花伝書』(小学館、2009年)など。

 
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