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巻頭随筆

個人の病理と社会の病理    黒木俊秀

 

 わが国で「ひきこもり」という言葉が一般にも知られるようになったのは、1990年代の終わりに出版され、ベストセラーになった精神科医、斎藤環氏の『社会的ひきこもり――終わらない思春期』(PHP新書、1998年)がきっかけと思われる。それ以前に教育関係者や学校メンタルヘルスの専門家は、長期化する不登校やスチューデント・アパシー(学生の無気力状態)の青年の対策に頭を悩ませてきた。斎藤氏は、その問題を発端として30歳近くになっても一向に解決の糸口がみえない極めて多くの人々が家庭にひきこもっている現状を明らかにして、世間に衝撃を与えたのである。

 前掲書において、斎藤氏は「ひきこもり」は一つの症状であって病名ではないと断りつつ、不登校、家庭内暴力、自殺企図、対人恐怖、強迫行為など、さまざまな思春期・青年期の問題行動が何らかの形で「ひきこもり」とともに現れることがあると述べ、長期化すると多様な病理の温床になりやすいと断言した。ここに精神医学や心理臨床の専門家が「ひきこもり」の当事者やその家族の支援に関わる理由がある。その意味で「ひきこもり」は個人の病理であり、個別の介入と対応が求められる。

 先に筆者は、本誌特集「五月病、今」(『教育と医学』2009年5月号[57巻5号]、56―63頁)において、日本社会が高度成長にあった1960年代の大学キャンパスに出現した「五月病」が変容し、世代の上下に拡散した現象が「ひきこもり」であると述べた。今回の特集にご執筆いただいた近藤直司氏らの最近の調査結果でも、「ひきこもり」は平均20歳前後から始まるが、その発症の年齢には小学生から30歳代まで広がりがみられるという。このことは、一方では小・中学校における不登校やいじめなどの問題と、他方では若年者における非労働力人口の増加、すなわちフリーターやニート問題などと重なってくる。したがって、学童期から30代、40代の壮年期までもカバーする間口の広い対策が必要となる。特に高年齢化した当事者に対する支援は現状では限界がある。今回の特集で、様々な立場から「不登校」や「ひきこもり」の支援活動を展開する方々に執筆を依頼したゆえんである。

 「ひきこもり」は、長くわが国特有の病理とみなされてきたが、最近、欧米のみならず韓国、中国の一部などの経済発展の著しい国々にも同様の人々が潜んでいることが分かってきた。“hikikomori”(今年、『オックスフォード英語辞典』に新たに収載)は、世界に拡散しつつあるのであろうか。かつて精神分析医の小此木啓吾氏が青年期モラトリアムの長期化が高度消費社会において普遍化しつつあると指摘したことが思い起こされる。ここに至って「ひきこもり」は社会の病理の様相を呈してくる。

 社会の病理として、「ひきこもり」は現代に必至の事態であり、介入や支援は無用なお節介とする異論もありうる。しかし、多くの当事者と家族の相談を受けてきた筆者はそうは思わない。病んだ社会を同時代に生きる誰もが「ひきこもり」を起こしうると感じるからである。それは到底他人事とは思えず、決して心地の良いものではない。「ひきこもり」は極めて個人的かつ広く社会的な病理である。その双方の視点から取り組みたい。

 
執筆者紹介
黒木俊秀(くろき・としひで)

国立病院機構肥前精神医療センター臨床研究部長、医師養成研究センター長。精神科医師。九州大学医学部卒業。佐賀医科大学講師、九州大学大学院医学研究院精神病態医学分野准教授などを経て現職。著書に『語り・物語・精神療法』(共編著、日本評論社、2004年)、『現代うつ病の臨床』(共編著、創元社、2009年)、訳書に『DSM‐V研究行動計画』(共訳、みすず書房、2008年)など。

 
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