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巻頭随筆

人生というタペストリーに新しい糸を  荒木登茂子

 

 「発達障害」という言葉が浸透し多くの情報を手に入れることができる状況で、視線が合わない、他の子が自分のおもちゃに触ったらひどく癇癪をおこした、他の子どもと遊べないなどの傾向があると、親はとても不安になるものです。この子どもの状態は、発達障害の診断がつくような状態なのか? 様子をみるという対応でよいのか? 診断の有無にかかわらず不安や困難な状況に対してどのような治療や援助ができるのか、を親としては知りたいところです。

 今回、先月号に引き続き「『発達障害』の疑問に答える」と題するQ&Aをお届けします。各界でご活躍中の先生方にご執筆いただきました。いずれも親がぜひ知りたい、気をつけたい、そして試してみたいと思う内容です。できるだけ早期に、個々の障害や個性に合った対応をすることで、その子が集団や社会によりうまく適応できるようになることが望まれます。

 強い怒りや衝動と両下肢の痛みのコントロールの一助として、60歳代半ばに描画療法を導入した患者さんがおられます。大量のアルコールと煙草のために身体を壊したAさんは、小さい頃からじっとしているのが苦手で、けんか早く、10代前半で家を飛び出し職を転々としました。過酷ともいえる人生を送ってきたAさんは、尋常高等小学校卒業以来50年ぶりに絵筆を持ち、そのうち草花や景色や頭の中にあるイメージを描き始めました。作品は写真ではないかと見まがうほどの精密さで周りを驚かせました。30年前に仕事で行ったことがある土地を精緻に再現した風景画もあります。頭の中に何枚もの写真のような記憶があり、それを忠実に再現していると推測されました。Aさんの展覧会を院内で開催し、患者さんも医療スタッフも作品の素晴らしさに感動しました。闘病中に勇気をもらったと多くの患者さんから励ましや感想をいただきました。それは闘病中のAさんにとっても嬉しい体験になりました。

 Aさんが小さかったころの戦前には、子どもたちはそれぞれの問題を抱えつつ必死で生活していました。団塊の世代ころの小学校では、心身の障害を抱えた子どもたちの世話を親や先生や同級生が協力して行っていました。てんかん発作をおこすお友達の口に、舌を噛まぬようにタオルを巻いた割り箸を噛ませて、手足を押さえていたのは、小学4年生の仲間です。

 今、Aさんが発達障害の相談に行ったとしたら、衝動性や強迫性、記憶に関する能力などから、発達障害の診断がついた可能性があります。そしてペアレント・トレーニングや治療や服薬の結果、違う人生を歩まれたかもしれません。

 人生は、造化の神と人との妙なる合作です。何らかの障害や問題があったときに、それに関わり、あるいは補完する糸を織り込んでいくと、思いがけない美しさや予期せぬ色合いが生まれ出てくるものです。人生というタペストリーに主人公の生きるエネルギーがさらに輝きを添えます。幼少期に糸を織り込めば、その輝きはタペストリーの全体に及ぶでしょう。しかし60歳になっても新しい糸はタペストリーの輝きを変える力があることに驚かされます。

 診断がついてもつかなくても、何歳であっても、その人にとって必要な糸を見極めて織り込むことが大切であり、そこがいつでも出発点です。この特集が、一人ひとりのかけがえのない人生というタペストリーに独自の輝きを添える新しい糸になることを願って巻頭言とします。

 

 

 
執筆者紹介
荒木登茂子(あらき・ともこ)

九州大学大学院医療経営・管理学講座医療コミュニケーション分野教授。専門は臨床心理学、カウンセリング、芸術療法、医療コミュニケーション学。名古屋大学大学院文学研究科心理学修士修了。九州大学医学部心療内科心理専門職、助手を経て現職。著書に『心身症と箱庭療法』(共編著、中川書店、1994年)、『場所論と癒し』(共著、ナカニシヤ出版、2003年)、『介護予防のための栄養指導・栄養支援ハンドブック』(共著、化学同人、2009年)など。

 
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