心的外傷という概念が、阪神淡路大震災をきっかけににわかにポピュラーとなった。しかし、最近は少しずつ忘れられつつある気味がある。実は、心的外傷が歴史上周期的に忘却されるのは一つの法則である。
それを断罪してもはかない。過去が色あせてくれなければ人は前進できない。過去のすべての惨劇が仮に生々しく私たちの眼前に彷彿としつづけるとすれば、さすがの人類も亡びかねないだろう。
実際、人間が生きるとは、記憶がその重みと鮮やかさの軽重強弱をたえず更新するということである。遠い日の些細な出会いが、二十年後には重大な意味を帯びてくる。逆に、かつて生死を賭けた恋愛沙汰も淡い夢になる。記憶とは、新しい事件に出会うたびに総体が大きく組み変えられる、一つの生きものである。
「心の傷だって? それがない人間なんてあるのか? 私だっていっぱい乗り越えてきたのだ」。『地獄の一季節』の次のランボーの一句はもっともである。「傷のない心がどこにあろうか?」傷の中には、成長を促す上になくてはならないものもある。たとえば初潮あるいは精通のような人生の節目である。
ここで医学に特有であろう事情を挙げるのが適当だろう。目に見えない一線があって、それより上方と下方では全く正反対の事態が起こる。それへの対処法も別箇である。つまり、軽いカゼの引き初めは熱いウドンを一杯すするか、その辺を一走りして汗をかけば治るかもしれないが、軽いと思っていたカゼがそうではなくて、こじらせて肺炎にならないとも限らない。そのように、外科医は切るか切らざるべきかで悩む。精神科医の診断で最重要なのは、外来治療か入院治療か、それともしばらく見守るか、の判断である。
この一線が目に見えないのは、生まれつきの個体差があり、一人ひとりに違う個人の歴史があり、家族の相互作用があるからである。そのつどの時代精神もあるだろう。
こう書いてみると、教育においても同じことが言えそうである。医療において眼に見えない一線が見えるのを「臨床眼」という。とすれば、教育の場合は「教育眼」というのがよいかもしれない。
世間は、教えるということを、忘れがちなものを忘れないように叩き込む技術だと思っているかもしれない。しかし、教育には忘れられない体験の機会を与える面もある。「思い出を作る」学校行事や何やかやもそうである。しかし、残念ながらよい体験ばかりではない。外傷性記憶とは、忘れたいのに忘れられない記憶である。教えるということの逆である。例の一線は、時間が止まるほどの強度かどうかにあるだろう。生涯にわたってその記憶から逃れられない犯罪被害者の遺族を、私たちは日々テレビで見ているはずである。いじめられた子は時間が止まっている。その特有の表情と行動が、またいじめを誘う。悪循環である。
私は立場上、教育の外傷的影響のほうを見すぎてきた。「学校って警察もないよね、裁判所もないよね。親に訴えても無駄だよね。つらいね」と相手を柔らかく包むような音調でいうと、とめどない涙を流す青少年に何度会ったことか。しかし、私の中には私の五、六年生の担任の姿もある。戦争末期に米英の国旗に火をつける子どもを叱責して「一国の尊敬を集めているものを侮辱してはならない」と止めさせた西田清二郎訓導の毅然とした姿である。その時のふるえるような感動は終生忘れることができない。同じころ、首相になった鈴木貫太郎は、アメリカ大統領ルーズベルトの死に、ラジオを通じて深い弔辞を送っていた。
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