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編集後記  第62巻2号 2014年2月
 

▼大学で「特別支援教育」の授業を年間で3コマを担当している。この授業で必ず投げかける質問に、次のものがある。

▼「子どもが3人います。A君とB君、そしてC君。ここにパンケーキが10枚あります。3人で平等に分けるには、どうすればいいでしょうか」と問う。3、4人の学生にどうするのかを発言してもらう。「3枚ずつで1枚を3等分にする」「3枚ずつであとはジャンケンで決める」と発言する。このあたりが多い回答である。そして多くの学生が「それがどうした」という顔をする。なかには、「どれだけ食べたいのか、子どもに言ってもらって、それから相談する」というものもある。このような発言があると、こちらも嬉しくなる。

▼「3分割でいいのかな」と首を傾けながら、次の情報を提供する。A君は身長150センチ・体重50キロ、B君は身長170センチ・体重70キロ、そしてC君は身長210センチ・体重110キロ。そうすると教室が少しざわつき始める。そこで、再度問う。「平等に分けるにはどうすればいいのか」と。「A君は2枚で、B君は3枚、C君は5枚」というような発言が出てくる。「それで平等なの?」と問う。それでいいという表情もあれば、それは違うと手を横に振る学生もいる。学生の「平等」が揺らぎ始めたようである。そこで次の話をする。

▼フィンランドで耳にした話を強調して伝える。信号無視の罰金についてである。Aさんは1万円、Bさんは5万円、Cさんは10万円が罰金である。このような国があるが、これはなぜなのか、と問う。「お金持ちか否かで違う」という回答が出てくるまでそう時間はかからない。日本はどうなのか。これは平等なのか。日本がいいのか、フィンランドがいいのかについて意見を交わす。学生の意見は半分、半分という状況になることが多い。

▼「10枚を3分割」「罰金はみんな同じ」、これは単純な平等である。もうひとつの平等・公平は「お腹の満足度」「規則を破った痛み」である。学校教育において、そして教員集団において「単純な平等」が強すぎないかと気になっている。単純な平等は、混乱が少ない。子どもに教えやすい。でもそれでいいのか。そして(特別)支援教育の授業においてなぜこの質問をするのか、につながる。

▼授業における学びは子ども一人ひとりで異なる。すぐに理解できる子どももいれば、時間がかかる子どももいる。教員が平等に同じように「教えた」としても理解にはばらつきが生じる。このばらつきに対して、教員はどうするのか。他方、視点を変えた平等・公平は、子どもの「わかった」である。理解が難しい子どもには、時間をかける。教え方をその子どもなりに工夫する。つまり、異なる教え方で不平等に対応する。でもこれが平等・公平な学びだとする視点である。さらに学んだことをどう活用するのかを視点とする平等もある。学校教育において何が平等なのか、教えることの平等と学ぶことの平等、より豊かな平等とは何か、学生と議論している。

 

(徳永 豊)
 
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