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立ち読み  
編集後記  第58巻10号 2010年10月
 

▼感情の豊かさは、人間を人間たらしめている特性の最たるものかもしれない。他者の悲しみや苦しみを、我がことのように共感して涙したり、世の中の不条理や不公正に怒り、嘆いたりする。しかし、感情や情動は、ときに厄介者扱いをされることもある。

▼例えば、感情が高ぶって筋の通らない言動をとってしまったり、後悔するような意思決定をしてしまったりすることは、誰しもが経験することである。私も、読む時間なんかないのに、書店に出かけると次々に本を衝動買いしてしまい、後悔することがよくある。

▼「人間らしさのひとつだから」、と感情や情動の働きを大らかにとらえることはできるだろう。他方、様々な社会的紛争の解決を難しくしている最大の要因が、人間の感情・情動の働きにあることも確かだろう。お互いに冷静に問題を直視して議論することができれば、案外スムーズに合意できたり、解決できたりするはずなのに、現実には、感情が先走り、問題をこじらせ、時には、さらなる紛争に発展させてしまったりすることさえある。

▼感情のコントロールは人間にとって、難しい課題である。攻撃行動も、感情が高ぶるあまり我を忘れて過激にエスカレートしてしまうことがある。動物と人間の行動を比較する比較行動学者のローレンツは、抑制がきかずに相手を殺してしまうまで攻撃を続けてしまうことのある人間は、攻撃行動についてはもっとも進化の遅れた動物であると嘆いている。最近の脳科学の成果を見ても、感情の発動はあまりに瞬時のことである。コントロールしようにも相当に意識を集中していなければ、気がついたときには、もうそこには喜怒哀楽の渦中にある自分がいるということになる。

▼漱石が『草枕』の冒頭で書いたように「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。確かに、その通りだとつくづく思うときがある。とはいえ、住みにくい人の世だからこそ、人情ほど身に沁みてありがたいものはないこともある。人間であるがゆえに、つい暴走しがちな感情を上手にコントロールして、バランスをとりながら、やっぱり人間で良かったと思える生活を送りたいものだ。

▼感情豊かであることは、人間として好ましいことであろう。しかし、感情におぼれてしまってはいけない。これはパラドックスである。社会に適応して生活を送っていけるように、感情をコントロールする力を我々は身につけていかねばならない。ただ、それは容易なことではない。子どもから大人へと成長する過程で身につけていくことではあるが、それがうまくできなくて苦しむ子どもたちも少なくない。どうやって我々は感情のコントロールを身につけていくのか。そのメカニズムが明らかになれば、どうすればいいのかもわかってくると期待できる。まだ緒についたばかりではあるが「情動的知能」の研究に期待がかかっている。

 

(山口裕幸)
 
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