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インテリジェンスの歴史
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インテリジェンスの歴史
―水晶玉を覗こうとする者たち

「プロローグ 水晶玉を覗こうとする男たち」

  
 

 

「プロローグ
 水晶玉を覗こうとする男たち」




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アメリカ国民は、諸君らが神やスターリンと通じ合い、「次の火曜日の午後5時32分に開戦です」と言えるようになることを期待しておるぞ!        

ウォルター・ベデル・スミス
1950年CIA長官就任に先立っての言葉
 


 1950年のある日曜日の朝のことだ。
 ワシントンのオフィスで、2人の男が話し込んでいる。派手な深紅のズボンつりがやけに目立つ男が、言った。
 「私はこれまでずっと、研究者としてやってきたのですよ。将来何が起こるかを推定しろと言われましても・・・・・・」
突然、向かい合って座っていた小柄でどんよりした目つきの男が怒鳴った。
「この若造が! わしがお前を説得するために、わざわざ日曜日の朝をつぶしてオフィスに来たとでも言うのか。考え違いもはなはだしい!」
「若造」と言うが、怒鳴ったほうが55歳、怒鳴られたほうが47歳だから、2人の歳の差はそれほどでもない。

 紹介しよう。
 派手なズボンつりの男こそ、後に米国で情報分析の父と謳われることになるシャーマン・ケントだ。このときはイェール大学歴史学部教授で、既に前年、名著『米国の世界政策のための戦略インテリジェンス』を著している。
 小柄なほうは、本著の冒頭引用した言葉でも有名な、ウォルター・ベデル・スミス。言わずと知れた、米国のインテリジェンス組織CIAの名長官である。ハイスクールを出たのみで陸軍に入り、両大戦を戦い抜き、大将まで上り詰めた叩き上げの軍人だ。独学の人で、強靱な記憶力を有し、平気で人の感情を害するような態度を取ったというから、喧伝されるケントが怒鳴られた話は、本当なのだろう。
 実はこの年の6月、米国のインテリジェンスは、韓国に侵攻した北朝鮮の動きを事前に予測できず激しい批判を浴びることとなった。その4か月後、更迭されたロスコー・ヒレンケイターCIA長官の後任として、新長官に就任したのがスミスである。将来を予測するという、水晶玉を覗くようなミッションにかける彼の意気込みは、十分理解できる。
 そしてケントのほうは、著書の中で、大量のインフォメーションを元に分析することによって、対象国の将来を予測する「推測的・評価的要素」こそが、戦略インテリジェンスの内容としては最も重要である、と主張していたのだ。かつケントは第2次世界大戦中CIAの前身となったOSS(戦略情報局)という軍のインテリジェンス組織で、分析を担当した経歴まで有している。
 この時点でスミスとケントが結びついたのは、当然の成り行きとも言えるだろう。 「朝鮮戦争は国家の非常時だ」というトルーマン大統領からの私信まで頂戴してしまったケントは、ついに決断する。教授の職を諦め、結局1967年に引退するまでの全ての歳月をCIAに捧げ続けた。

 さて、なぜこのエピソードを最初に持ってきたかというと、それが、これから皆さんと辿るインテリジェンスの全ての歴史を象徴しているためだ。
 将来の姿を、事前に可能な限り予測する。この水晶玉を覗くような作業は、古代ギリシャでは神の御手に委ねられていた。「神のお告げ」に基づいて、政策や戦略が立案され、執行されていたのである。
 それを「必ず人に頼ってこそ敵の状況が知れる」と言い切り、人間の仕業として明確に位置付けたのが、古代中国の戦略家、孫子だ。
 水晶玉が人間の手に渡って以来、インテリジェンスにかける人間の情熱は凄まじい。プロイセンのフリードリッヒ大王は、「敗北はやむを得ないが、断じて奇襲されてはならない」と言った。ナポレオンは、「指導者はうち破られる権利を有するが、驚かされる権利は決して有しない」と言った。米国のインテリジェンス研究家、マーク・ローウェンソールは、「米国のインテリジェンス・コミュニティーの形成を促したのは、冷戦ではなく、真珠湾である」と言った。
 その一方で、2001年9月11日に米国を襲った同時多発テロに関する独立調査委員会の最終報告書は、「クリントン前大統領およびブッシュ大統領とその補佐官たちは、『ビン・ラディンが危険なことは分かっていた』と言う。しかし、その後の政策の内容や進捗状況を見ると、アル・カイダの殺傷能力や、いつ行動を起こすのかについて、きちんと理解していたとは思えない」とも言った・・・・・・。
 インテリジェンスの歴史は、失敗の歴史でもある。

 本著の趣旨は、「少しでも将来の姿を確実に予測したい」とする人間の情熱の結果、インテリジェンスはどのように変化したのか、そして変化した結果、少しは確実に予測できるようになったのか、を明らかにすることにある。
 比喩的に言えば、孫子が神の手からもぎ取って人間の手に渡した、将来の姿を写し出す水晶玉は、技術の進歩や人間の工夫によって、どのように磨かれ、透明性を増したかを考察してみようということだ。

 

 
著者プロフィール:北岡 元(きたおか はじめ)
国立情報学研究所教授、拓殖大学大学院非常勤講師
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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