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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2008年11月17日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第33回:朝吹英二とは…(その4)
 

目次一覧


前回 第32回
朝吹英二とは…(その3)

次回 第34回
慶應義塾出版社の活動(その1)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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朝吹英二

前述の朝吹による暗殺未遂事件(本連載第32回をご参照のほど)をまったく知らずに過ごした福沢は、朝吹に対して繰り返し繰り返し開国進取の必要性を説き続けたところ、とうとう朝吹は降参するに至る。その際に大きな力を発揮したのが福沢の著書『西洋事情』! この本を読んですっかりその魅力に取りつかれた朝吹は、所蔵の漢籍を売り払って『西洋事情』以外の福沢の著書も次々と読みあさり、遂には洋学派に転向してしまった。さらには断髪もして、父親から譲られた刀まで旅費のために売ってしまう始末。

明治3年に上京して慶應義塾に入社後は、芝新銭座時代の福沢家の玄関番として、取り次ぎ、拭き掃除、雑用、走り使い、そして何と福沢の娘の子守まで、実にまめまめしく働いた。もちろん三田への移転の際も荷物運びに汗を流し、明治5年8月に慶應義塾出版局の創設に際してその主任に就任したことは、本連載第18回でご覧いただいた通り。そして明治8年には、福沢の媒酌により中上川彦次郎の妹と結婚し、福沢・中上川と縁戚関係になった。その後も慶應義塾出版社で活躍を続けたことは、本連載第29回でご覧いただいた通り。

さらには、三菱商会支配人・貿易商会取締役・鐘ヶ淵紡績会社専務取締役(後に相談役)・三井呉服店専務理事(後に取締役)・東京商業会議所特別議員・王子製紙会社取締役(後に専務取締役・取締役会長)・品川毛織会社取締役・芝浦製作所監査役・帝国軍人後援会理事・三井同族会事務局管理部理事・堺セルロイド取締役・泉橋病院理事兼評議員・三井合名会社参事・三井銀行監査役・三井物産会社取締役・東神倉庫会社取締役・恩賜財団済世会理事兼評議員を歴任していくことになる。

もしもあの時、寄席のハネ太鼓が鳴らなかったら、福沢にとっても近代日本にとってもその後の歴史は大きく変わっていたかもしれない。

【写真1】 朝吹英二 (慶應義塾福沢研究センター蔵)
 
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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