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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2007年1月16日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第11回:「福沢屋諭吉」の編集活動(その4)

 

目次一覧


前回 第10回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その3)

次回 第12回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その5)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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 今回もまた前回に引き続き、『世界国尽(せかいくにづくし)』初版をめぐる杉山新十 郎と福沢諭吉との間の問答について。
     
  問3. 第3巻「欧羅巴洲」のロシアの項に「西は遥かに黒海より」とありますが、ロシアは黒海を制圧していないので、この表現はいかがなものでしょうか?
答3. 「黒海を遥かに」といっても差し支えはないでしょう。この文章は一般に、暗にロシアの国策を述べたものなのです。ロシアの特徴は北の隅に位置して、他より攻めるには不便で、この地を獲得しても無益と考えられます。ロシアは南の方へ出れば一尺の土地を獲得しても自国より良い地面なのです。例えば日本から蝦夷へ出る者は寒いというでしょうが、ロシアから蝦夷に出る者は暖かいというでしょう。寒い国の得です。また黒海とわざとここで記したのは、ロシアのトルコをねらうこと、長年にわたります。すでにセバストポリの戦いも黒海周囲の地をロシアに併合しようとしたので起きたのです。黒海の一件として現在も有名な話です。政談家(評論家)の話でロシアの国策といえば、まず黒海の一件、朝鮮の一件と並べ立てて見れば、東西かなり離れた所に二つ話があるというものです。  

 前回の問1・2は単なる南北の取り違えを指摘したのに対して、今回の問3は記述の内 容にまで踏み込んできた。杉山は、当時のロシアは黒海に面しているものの実際に黒海を 制圧しているわけではないので、ロシアの領土・領海を説明する記述としては不正確では ないかと指摘している。そこで、当時のロシアの動きについて見てみよう。この頃のロシ アは伝統的な南下政策に基づき、黒海からボスポラス=ダーダネルス海峡の確保を目指し てトルコとの間にクリミア戦争を起こした(1853〜1856年)。『世界国尽』のこの丁には、 クリミア戦争の激戦地となったセヴァストポリ要塞の図が掲載されている(「せばすとぽ る」台場の図)。
  せばすとぽる 台場の図
 このクリミア戦争は、ロシアの南下を阻止すべくイギリス・フランスがトルコ側に立って参戦したため、結局ロシアは敗北する。そしてパリ条約(1856年)によっ て黒海の中立化とボスポラス=ダーダネルス海峡の閉鎖が定められ、ロシアの南下政策はここに頓挫してしまった。おそらくこのような事態を受けて、杉山は先のような疑問を福沢に対して投げかけたのであろう。

 それに対して福沢は、ロシアの領土・領海の説明ではなくて、ロシアの国策(南下政策)の説明だから特に記述に問題はないと返答している。問1・2のような表記上の単純な誤りに対する指摘の場合はすぐに訂正に応じたが、問3は内容に関するものなので、福沢はその意図を丁寧に説明しながらも特に変更することはなかった。

       
  問4. 第1巻「亜細亜州」の巻末地図にある「前印度」と「後印度」は、逆ではありませんか?
答4. 「印度の前後」もまた誤りです。この「前後」はガンジス川を境として「前後」の名称を付けるということです。これは図の方が間違いですので、ただちに改め るつもりです。  
       
   
初版
 
再版
 

  現在ではあまり見受けられないが、当時はガンジス川以東を「前印度」、以西を「後印度」 と表記していた。これは問1・2と同様の単純な取り違えなので、早速訂正された。

 それにしても読者の杉山新十郎は細かい誤植から記述の内容に踏み込んだものまで、様 々な指摘や疑問を矢継ぎ早に投げかけてくる。なかなか手強い読者のようだ。杉山からの 問いかけは、まだまだ続く…。

【写真1】『世界国尽 三』初版 31丁ウラ(慶應義塾による復刊版)
【写真2】『世界国尽 一』初版の巻末地図(慶應義塾による復刊版)
【写真3】『世界国尽 一』再版の巻末地図(慶應義塾福沢研究センター蔵)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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