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医療政策は選挙で変える―再分配政策の政治経済学IV
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医療政策は選挙で変える

―再分配政策の政治経済学W 増補版

増補版への序文

 
 

本書初版を出版して後、二〇〇七年七月二九日に参議院選挙があった。その様子については、『週刊東洋経済』(九月一日号)に掲載された、本書への書評の言葉を拝借したい。

 内閣府の国民生活選好度調査によれば、「医療」こそ、国民の関心が最も高い政策領域である。そうした関心を反映し、与野党は、医師不足対策を含む医療問題を七月参議院選挙の最大の争点の一つと位置づけていた。しかし、選挙が近づくと、年金問題、防衛大臣失言問題、事務所経費問題と政権のスキャンダルが続き、医療の議論は影を潜めてしまった。
      「公的医療の大きさを決めるのは有権者だ」『医療政策は選挙で変える』への書評
          東京大学先端科学技術研究センター特任准教授 近藤正晃ジェームス氏


選挙一〇日前の七月一九日、共同通信社から次のインタビュー記事が配信された。

連載企画「1票の意味―参院選インタビュー」
第二部一〇回続きの(六)権丈善一慶應大商学部教授

医療崩壊を食い止めよ 年金問題より医師確保を
―今回の参院選で社会保障分野の課題は。
「医療提供体制の立て直しが最も重要だ。医療現場は崩壊しつつあり、この流れを食い止めるのに残された時間はまったくない。特に地域医療は瀬戸際にあり、緊急に手を打つべきだ。いま大騒ぎしている年金記録の問題は議論が出尽くした。だが、医療問題は政治レベルの判断が手付かずのままだ」
―政治の判断とは。
「医師も看護師も疲れ切っている。医療従事者が自分の仕事を続けることに希望を抱ける政策に転換するべきだ。公的医療費の抑制をやめ、かつ医師を増やして数を確保する必要がある」「有権者全員に問題の深刻さを理解してもらえるかどうかはともかく、せめて全国約二百万人の医療従事者に絞って呼び掛けたい。毎日の生活の中で医療政策の矛盾を肌で感じながら過ごされている皆さんは、各党のマニフェストを冷静に読み比べた上で、医療崩壊の阻止に取り組む政党を選んでほしい、と」
―具体的な選び方は。
「一九九七年と昨年になされた二つの閣議決定を撤回する姿勢を示せるかどうかだ。九七年の決定は、医師数は充足しているとして医学部定員を減らす方針を打ち出した。昨年は社会保障費を五年間で一兆六千億円削減するとの内容。これらが生きている限り、医師は増えず、医療費が今後も削られるのは自明だろう」「何も与党批判をしたいのではない。与党が誤りに気付き、自ら方針を変えるなら評価できよう。日本では医師一人が診ている患者の数は米国の五倍、欧州諸国の三、四倍に及ぶ。医師数を増やさないとどうしようもない。医療費についても、欧州諸国の平均水準まで増やす方向に行かないとダメだ」
―財源は。負担増は経済成長を阻害しないか。
「欧州並みに社会保険料を引き上げる選択肢があってよい。政党は『社会保険料をアップして医療に充てる』と約束すべきだ。個々の企業側は嫌だろうが、経済活動全体から見れば、医療や介護分野のサービス需要や雇用をつくり出す貢献は大きい。結果的に高齢者が多い地方に所得が再分配され、地方交付税のような役割も果たし得る。ただ、消費税は他に充当すべき政策もあり、医療費を増やすにはまず社会保険料を考える方が実現可能性が高い」
―年金については。
「論議は記録問題から制度論に入ってきた。民主党の年金改革案は年収六百万円以上の所得者に給付制限があるなど、現在の支持者もいずれは失望するだろう。メディアがあおる不毛な年金論争に振り回されて投票先を決めては、国民はせっかくの国政選挙を一回無駄にし、取り返しのつかない医療崩壊を受け入れることになるだけだ」


最後の最後に、絆創膏が医療問題を選挙の争点から押し出すところが、この国のなんとも面白いところであるが、さすがにそのことには触れず、先の記事の共同通信社配信から三日後の七月二二日、参院選のちょうど一週間前には、次の文章を書き上げる。

勿凝学問99
さて、二〇〇七年参院選も終わった終わった
亡国の年金報道と争点のクラウディングアウト問題
                        二〇〇七年七月二二日
 二〇〇七年参院選は、二〇〇四年につづく「年金選挙」であった――歴史が、そう記憶するところまで来たみたいである。
 本当は、二〇〇五年の九・一一郵政民営化選挙の時も、民主党にとって「年金選挙」だったし、民主党の思惑をアシストする年金報道もかなりなされていた。しかし、あの時の年金報道は刺客報道に大敗。二〇〇四年以降の国政選挙で、年金報道は二勝一敗である。勝率は悪くはない。民主党は政権をとって彼らの言う年金改革案の正体が露見して広く国民に呆れられるまで、年金を政争の具とする戦略を続けるのだろう。

 今日のテーマは、二〇〇四年に続いて今年二〇〇七年も、年金報道を書かせ続けた人と書き続けた人たちは、意識的にか無意識のうちにか、この国を亡ぼすつもりでいるらしいと書きとどめておくことである。

 二〇〇四年、あの時の政治家の未納報道の後三ヶ月ほど続いた年金報道から、その後、この国の年金は、なにか得るものがあったのか?
 確かに、国民の間での年金不信は高まった。しかしそれ以外、何もなかったということは、二〇〇四年四月一七日に書いた「勿凝学問7」以降、わたくしがこれまで書き続けたことを読んでもらいたい、是非とも――「二〇〇四年、年金改革の意味と意義と年金論議の攪乱要因」〔V巻所収〕などは難しいかもしれないが、職業として年金を語るのであれば、少しは自分の知らないことが書いてある本も読むべきであろう。

 では、二〇〇七年年金報道は?
 どの政党が政権をとってもなすべきことは同じでしかない問題を延々と論じた後は、年金の制度論に入ったようではある。だが、この制度論の中に登場している民主党の年金改革案は、財源問題以前に年金改革案と呼ぶに値しないものであることも、「勿凝学問7」以降、わたくしがこれまで書き続けたことを読んでもらいたい、再び是非とも。

 問題は、こうしたまったく不毛な「年金選挙」への道筋をメディアが作っていったことの犠牲として、この国で論じなければならない、より重要な問題を考える機会を国民から奪い、結果、国民に迎合するしか生きていく術はない政治家からも、より重要な問題を論じる機会を奪ったことである。

 年金報道を書かせ続けた人や書き続けた人たちは、本当に、今日の医療崩壊問題よりも年金記録の問題や年金制度論の方を選挙の争点とする方が重要だと考えているのか? 本当に、社会保障へのスタンスを対立軸とした政策論争よりも、誰がやっても同じ解決策しかない年金記録問題や、毛針で魚を釣るに似た民主党の年金戦略を論じる方が重要だと考えているのか? 本当に、民主党の年金改革案を現行の年金制度と並べて比較するのに値する代物だと考えているのか? 衆議院議員の与謝野馨氏が一月以上も前の六月一〇日に出た『文藝春秋』(七月号)に書かれた「告知」の中で、みずからのガン告知を語りながら、国民に訴えられている「消費税を含め、日本の税制を根本的に変えてゆかなければ(すなわち国民負担の増大)、年金問題を含めて日本の優れた社会福祉制度は維持できないことは明白である」という問題提起は、いずれ統合されることになっていた多くの年金記録について大騒ぎすることよりも重要でないと考えているのか?
 いずれも、イエスと答えるのであれば、勉強した方がいい。勉強し直した方がいいとは言わないでおく――イエスと答える人は勉強したことがないのであろうから。できれば、「勿凝学問95」で言う「冷静な社会保障論議、建設的な国づくり論議を妨げる諸悪の根源たる民主党年金改革案」という言葉の意味を理解できるまで勉強してもらいたい。

 最近になって、年金問題ばかりではなくもっと重要な争点を論じなければ今回の選挙は意味がない、という論がいくつも新聞に登場してきてはいる。だが、メディアみずから年金問題を煽りに煽っておいて、国民がそのキャンペーンに乗った後になって、年金以外の他の争点の方が重要とメディアみずからが書くのは、いささか茶番である。
 この三ヶ月ほどの年金報道を見せつけられた国民は、どうすればもっと重要な論点があることを知ることができたというのか。そしていったん火がついた大衆は、メディアをもってしても制御できなくなることくらいは、はじめから分かってやっていたのだろうし。

 メディアというのは、いつもそうである。  今の医療崩壊、医師不足は大変な問題だと言っているそのメディアが、今日的医療崩壊のきっかけを作り、この問題を加速してきたのである(「勿凝学問48」参照)。二〇〇七年参院選が「年金選挙」になってしまったのも、来る日も来る日も、より重要な問題を無視して、すでにどうでもよくなってしまった年金報道を延々と続け、さらには参院選は年金が最大の争点である」と勝手に断定形で報道し続けたからであろう。そうであるのに、今になって「もっと重要な争点を論じなければ今回の選挙に意味がない」はないだろう。最近の新聞が指摘するように、今回の選挙は、年金報道を書かせ続けた人と書き続けた人のせいで、本当に意味がなくなってしまったのである。

 ここ数年、年金問題によって争点からクラウディングアウトされた(締め出された)問題には、この国の未来を考える上で極めて本質的、かつせっぱ詰まった問題が多く含まれていた。それゆえ、この国の年金報道を、わたくしは亡国の年金報道、この年金報道を書かせ続けた人と書き続けた人を亡国の民と呼んでいるのである。

 もっとも亡国の民たちは、自分たちは良いことをしていると大きな勘違いをしているようでもあり、人様に誉めてもらおうと、何か賞でも狙おうとする動きもあると、多方面から聞く。今回の国政選挙を「年金選挙」に堕すようなことまでしない働きであったならば、それなりの評価をされていいとは思う。しかしまたもや、彼ら亡国の民たちは、国政選挙を最終的には不毛な年金制度論に持ち込むところまで引きずり降ろして、他の重要な争点をクラウディングアウトしてしまった。
 この世界、たくさん書く者が偉いのだから、書き入れ時には、書き負けないように書き続ける――事の軽重も問わずに、もっぱら事の新しさばかりを基準とした紙面の陣取り合戦に興じてしまった結果、国民にとってのせっかくの国政選挙を台無しにしたにもかかわらず良いことをしたと思っている彼らには、「新聞協会お目出たい賞」くらいが相応しい。

 本書「おわりに――北海道大学公共政策大学院福祉労働事例研究(公開研究会)補講」
                                  つづく


五〇〇〇万件の年金記録に関する報道は、狙った賞を逃したようである。審査員も、紙面を賑わせていた年金記録報道のかなりの部分が空騒ぎであったことを見抜いてのことであろう――見識である。

『医療政策は選挙で変える――再分配政策の政治経済学W』は、こうした本が世に出たという事実をもってマニフェスト(や選挙戦の模様を眺めながら投票日直前に表明される公約)を考える政治家に圧力をかけることができれば、それでよかった。後は、出版社が赤字にならない程度で十分で、ネットからこの本の存在を知り、わたくしのホームページに辿りついた人たちが、そこに公開している文章を読んでくれれば任務完了と構えていた。すると、どうしたことか早々に初版の在庫がなくなる事態が出来した。初版刊行以来、

● 六月の日本病院学会全国大会での講演内容を加筆した「01 日本の社会保障と医療――小さすぎる政府の社会保障 ver.2」をホームページに公開していた。

●第四回「医療費の将来見通しに関する検討会」議事録をチェックしている六月に、「勿凝学問74 医療政策担当者と、いち利用研究者の齟齬」中の「図2 これまでの将来見通しにおける医療費の伸びと経済成長率」を、より強調した文章を書く必要を感じて加筆した「勿凝学問74 ver.2」をホームページに公開していた。

●七月に出されたOECD Health Data 2007では、わが国二〇〇四年の医療費のGDPに占める割合が英国に抜かれて先進国で最下位に転落するという出来事が起こったために、初版「図6 医療費のGDPに占める割合」を更新する必要も生じた 。※1

こうしたことを反映させ、さらにいくつかコラムを加えて、重刷を機に増補版とすることにした。

増補版で加筆した文章は、http://kenjoh.com/4_2_editionで読むことができる――のみならず、ネット上の文章を本にするために出版社に編集(削除・脚注化・コラム化)を依頼する前の文章もすべてhttp://kenjoh.com/korunakare_index.htmで読むことができる。初版を手元に持たれている方には、是非ともホームページを参考にしてもらえればと思う。なお、『医療政策は選挙で変える』には四月二二日脱稿の「勿凝学問77」までを収めているが、九月一一日現在、「勿凝学問104 マイケル・ムーア『SiCKO』の見方」まで書き進めている。五〇〇〇万件の年金記録騒動などについて、わたくしがどう論じていたのかに興味のある方も、http://kenjoh.com/korunakare_index.htmをみてもらえれば分かるはずである。

なお、初版の「はじめに」には、「彼ら政治家には、日本の医療が「高コスト構造」に見えるらしく、この「高コスト構造」を改善(?)したいらしいのである。もっとも最近、与野党はそろって今夏の参議院選で医療問題を無視することはできないと動き出してはいる――後は、読者の判断に委ねたい」と書いていた。選挙の直前、次々に入ってくる本書の読者からの連絡や、共同通信社配信記事「医療崩壊を食い止めよ」での「せめて全国約二百万人の医療従事者に絞って呼び掛けたい。毎日の生活の中で医療政策の矛盾を肌で感じながら過ごされている皆さんは、各党のマニフェストを冷静に読み比べた上で、医療崩壊の阻止に取り組む政党を選んでほしい」というメッセージを受け止めて下さった人からのメールには、一医療者の意思表示として国民新党の自見庄三郎氏に投票しますというのがほとんどであった。お忙しいなか、マニフェストを読み比べるという面倒な作業に時間を費やしてくださった皆さまに謝意を表したい。次の選挙の投票先も、マニフェスト次第と心得ておきましょう。

最後に、先に紹介した『週刊東洋経済』(九月一日号)に掲載された本書への書評から、再度、引用させてもらって、この文章を閉じるとしよう。

「世界最高水準の医療を受けたい。でも、負担増にはいっさい反対」。こんな無責任な有権者が日本の医療をだめにしている。著者の批判は、そうした風潮を助長するメディアにも及ぶ。次の総選挙までに、望ましい公的医療の規模について国民一人ひとりが熟慮し、覚悟を決めることを著者は求めている。

「公的医療の大きさを決めるのは有権者だ」『医療政策は選挙で変える』への書評
                         近藤正晃ジェームス氏  


この本を次の総選挙まで延命していただきましたことに、心より感謝いたします(笑)。

スターリング・ブリッジの戦いより七一〇年目の二〇〇七年九月一一日
権丈(二〇〇六)『医療年金問題の考え方』(五四〇頁)参照


※1 ここで言う医療費とは、OECD Health Data の総保健医療支出(Total Expenditure on Health: THE)のことであり、総保健医療支出は国際比較に耐えうるものと一応評価されている。OECDは、二〇〇〇年に保健勘定の国際基準としてSHA(A System of Health Accounts)を発表し、加盟各国の参加を呼びかけた。そして二〇〇一年よりOECD Health Dataは、この新基準に沿った推計を行うことが求められている。日本では、医療経済研究機構がSHAに基づく総保健医療支出(THE)を一九九五年にさかのぼって推計し直し、OECDに報告している(一九九五年以前は、国民医療費をベースに、内閣府経済社会総合研究所(旧 経済企画庁経済研究所)の「国民経済計算(SNA)」統計から推計した値を総保健医療支出(TEH)としてOECDに報告していた)。
  なお、日本で推計されてきた「国民医療費」は、日本の医療保険制度のもとでの支出を推計したものだったが、SHAは、「国民医療費」+医療設備への投資+集団的保健医療支出+etc.と、かなり包括的に定義されている。
 ちなみに、二〇〇四年の国民医療費は三二兆円一一一一億円だが、OECD Health Data 2007の総保健医療支出(TEH)は四〇兆七六〇億円であり、国民医療費より二五%ほど多い。この総保健医療支出(TEH)のGDPに占める割合が、二〇〇四年、主要先進国の中で最下位になったのである。
 ――以上、どうしても日本の医療費が低いことを認めたくない方々へ。>


著者プロフィール:権丈 善一(けんじょう よしかず)
慶應義塾大学商学部教授 1962年福岡県生まれ。1985年慶應義塾大学商学部卒業、1990年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。嘉悦女子短期大学専任講師、慶應義塾大学商学部助手、同助教授を経て、2002年より現職。 主要業績に、『医療経済学の基礎理論と論点(講座 医療経済・政策学第1巻)』(共著、勁草書房、2006年)、『医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学V』(慶應義塾大学出版会、2006年)、『再分配政策の政治経済学I――日本の社会保障と医療[第2版]』(慶應義塾大学出版会、2005年〔初版、2001年、義塾賞〕)『年金改革と積極的社会保障政策―― 再分配政策の政治経済学U』(慶應義塾大学出版会、2004年、労働関係図書優秀賞)、翻訳としてV. R. フュックス『保健医療政策の将来』(共訳、勁草書房、1995年)などがある。
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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