私が慶應義塾にかかわりを持ってから、実に六十五年の年月が経過した。この半世紀余は誠に変遷の激しい、多難な年月であった。この間において、さまざまな出来事に遭遇したし、多くの人たちとの出会いを持った。
あらためて振り返ると、感慨ひとしおである。この年月は、非常に長いようでもあり、また須臾(しゅゆ)の感がしないわけでもない。この間のことには、余りにも遥かに過ぎ去ったようで、詳細は殆ど思い出せないこともあれば、昨日のことのように鮮烈に脳裏に刻み付けられていることもある。しかし、人の記憶のあやふやさや儚なさを感じさせられることもしばしばである。
このところ、年をとった故か、昔語りや回顧談を求められる機会が多い。これも年寄の務めかと、書き留めて来た覚書を繙きながら、請われるままに物語ってきた。
そうした際に、「それはこんな状況だった」とか、「実はこんなことがあった」などと話すと、「そんなことがあったのか」、「それは初耳だ。そうだったのか」というような反応が返ってくることがしばしばである。私にとっては当り前だと思われるようなことも、殆ど知られていなかったり、あるいは大変誤解されていることも少なくない。あらためて、世の移ろいと人の記憶の儚いことを思い知らされたことであった。
「ぜひ、そうしたことは記録に留めておいて欲しい」とか、「そのようなことはもっと多くの人たちにも知って貰いたいので、何かの形で発表して欲しい」といった声もたびたび聞かれた。中には、「先生は数少ない語部の一人となってしまったのだから、そうしたことは出版して塾内外に伝える義務がある筈だ」とまで迫る人たちが現れる始末である。
そうした声に押されて、この覚書を敢て出版することとしたわけである。しかし、ここに収録したものは、フォーマルな記録でもなければ、「私の履歴書」といったものでもない。半世紀余にわたって慶應義塾とともに歩んできた過程において、私が時に応じ折に触れて書き留めてきた私の覚書に過ぎない。しかも、その極く一部でしかない。
したがって、元来は刊行するようなものではないが、ここではそのような私の覚書を元として、あるいは書き改めあるいは書き加えたりして整理した。しかしながら、その内容は、できる限り忠実に綴ったつもりである。また、体裁を整える意味において、年代順に配列することにもつとめた。
覚書である限り、私個人の思い出に過ぎないかも知れないが、これが多くの人たちにとって、慶應義塾の来し方を回顧し、慶應義塾を思うよすがともなれば、望外の喜びである。
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