本書は、アメリカ合衆国における市民世界の変貌を歴史的に検討し、アメリカ「民主主義」の現在を歴史社会学界の泰斗シーダ・スコッチポルが鮮やかに説き起こしたTheda Skocpol, Diminished Democracy: From Membership to Management in American Civic Life (Norman: University of Oklahoma Press, 2003)の全訳である。
著者のスコッチポルは、1947年、デトロイト生まれの歴史社会学者で、ミシガン州立大学、ハーバード大学院で学んだ後、同大学助教授、準教授、シカゴ大学準教授、教授を経て、1986年以降ハーバード大学教授である。また、アメリカ歴史社会科学会会長、アメリカ政治学会会長などの要職も歴任している。歴史社会学、福祉・社会政策、現代アメリカ政治、市民参加、自発的結社等「多様な研究領域でのナショナル・リーダー」(『ハーバード・ガセット』2005年6月9日)として精力的に活躍している。邦訳の『歴史社会学の構想と戦略』(木鐸社、1995年)、『現代社会革命論――比較歴史社会学の理論と方法』(岩波書店、1997年)も、専門領域を超えて広い読者層を得ている。
本訳書『失われた民主主義』は、アメリカ市民社会を織り成してきた様々なタイプの結社を、設立経緯・理由、結社組織者・指導者の戦略、戦略選択を縛る制度・ルールを歴史的に分析し、その変化を<メンバーシップからマネージメント>へと命名した。「長い1960年代」の一連の「権利」革命を挟んで自発的結社は衰退し、自発的なメンバーシップ連合体は、市民と連邦政府の狭間でより専門的に運営される機関となった。「市民」は「会員」となり、メンバーシップ結社はプロフェッショナル化され、あるいは、国家に影響力をもつ専門家(政治家)との間で実際的な活動が制限、管理されていくなかで衰退して行ったのだ。
今日流行の二つの社会理論、「社会資本」論(『孤独なボウリング』(柏書房、2006年)の著者ロバート・パットナムら)/一部コミュニタリアンと「新しいリベラリズム」論も、同時期に自発的結社の衰退を発見する。「リベラル派体制」の床柱であった結社自由主義の「死」を嘆く前者は、コミュニティ、隣人間の対面的な社会的つながり、家族、友人間の交流の再活性化に、またその「死」を称賛する後者は、プロによる<運動直接活動主義>の強化に熱いエールを送る。
本書は、両者の現状判断を導出させるデータの「スナップショット」性と非政治的・非制度的認識のあり方を批判する。自発的結社の衰退は、両者が考えるように、「長い60年代」の自動的反映物ではないのだ。<メンバーシップからマネージメント>への変貌は、政府の規制政策の変更がもたらした新しい政治的機会構造が、専門家が運営する市民組織の台頭に拍車をかけ、市民活動家は中央でプロが管理するロビー活動を志向しだし、財政援助の革新的手法が会員ゼロの結社創設モデルを可能なものとした結果起こったのだ。この新種の市民組織は、もはや大量の仲間・市民をメンバーシップ活動へと動員することはなく、階級区分線を越えた連帯や友情とナショナルな民主主義に等しく重要な包摂的な市民動員には不熱心でもあるのだ。こうした認識からする「失われた民主主義」からの市民性再興の戦略は、特定の場所・地域に囚われない結社・ネットワークの構築、多数の仲間・市民を組織する市民リーダーの育成、代表制による意思決定の透明な手続きのナショナルな権力、社会的な力に向けての政治的、制度的な結合を重要かつ喫緊のものとし、全国的コミュニティ、積極的政府、そして民主的な包摂的動員を忘却したいま流行の理論とは、立ち位置を大きく異にするものである。
折しも、来年2008年はアメリカ大統領選の年である。イラク駐留米軍、テロ対策と国土安全保障、「文化戦争」と「希望の政治」、「第二次金ぴか時代」と貧困/医療保険制度改革などをめぐって激しい選挙戦が予想される。本書を通じて得られた自発的結社の変貌に関する歴史的知識を筐底に収めて、大統領選をめぐる恒例ともいえる言説、例えば巨大政治献金、巨大メディア、巨大教会、草の根「投票動員(GOTV)」運動を、本書に示された「パトロン助成金」、「もの言う代表」、「小集団」運動、「ターゲットを絞ったアクティベーション」といった概念でリシャッフルしよう。大統領選の面白さが倍増するだけではない。静かに浸透しつつある同型の日本政治をリアルかつクリティカルに考える機会ともなるからだ。
|