本書『プライベートライフ』(原題『私人生活』)は文芸雑誌「花城」一九九六年第三期に発表された。その後、同年に北京の作家出版社より単行本として刊行され、一九九八年には香港天地図書と台湾麦田出版からそれぞれ出版された。このうち、雑誌発表原作と北京版は同じテキストであるが、香港版と台湾版は原作者陳染によってさらに書き加えられた形で刊行され、それを基にして、英語版が二〇〇四年にコロンビア・ユニバーシティプレスから出版されている。香港版と英語版にも若干の相違が認められるが、それらは陳染の承認の下に進められた翻訳作業である。日本語版は、香港版を基にしているが、陳染本人がテキストに手を加えている。
この小説は、拒否と否定に満ちた青春の印象であり、青春の意義のすべてを賭けて死を直視した、若い肉体の言語の表出である。
陳染は再三再四、この小説が自伝ではないことを明言してきた。彼女は自分の私生活について多くを語ろうとしない。それは創作にとってまったく必要のないことだからだ。問題は、ひとりの若い女性が必死の思いで自分のありのままの姿を見つめる作業にあり、そこからわきおこる思いを誠実に綴ることにあった。
陳染がこの小説を通して考えてきたことは、自分の存在とは何であるかという一点に尽きる。彼女は存在の原点を肉体という次元で確実に捉らえ、肉体のもたらす感覚の連なりから言葉を紡いでいく。その言葉たちは現実と想像の危うい合間に浮遊して、実際にあった、あるいはありえたイメージを作りあげ、独特なディスコースの世界へと広がっていった。
中国ではこういう彼女の作品世界を「另類(リンレイ)」小説と呼ぶことがある。世間常識を踏み破った荒唐無稽な若者の小説といった意味である。普通一般の基準から外れすぎていて評価が不能だという意味も込められているのだろう。また彼女をなんとしても「私小説作家」の分類に入れようとする論評もある。しかしそういうレッテル貼りで、彼女の作品を系列化することはできないだろう。
陳染という女性作家は日本ではあまり知られていない。彼女は一九六二年に北京で大学教師の父と童話作家の母のあいだに生まれた。本書ではニュウニュウの母親が窒息死しているが、陳染の母親は現在彼女の犬とともに健在である。また問題のT先生に関しても、彼女の人生において実在のモデルはいない。小中学校を通して男性教師が陳染の担任になったことは一度もなかったという。彼女はいい先生に恵まれていたようだ。両親については小説と同じで、陳染の少女時代に離婚している。父親との別離の後、彼女は母親とともに暮らし、多感な青春時代を北京で送ることになる。大学在学中から小説作品を発表しはじめるが、文壇から注目されるのは、一九八六年に著名な文芸雑誌「収穫」に発表した「世紀病」からである。なお陳染は作家の本名である。
一九八〇年代は中国現代文学にとって非常に大切な時期で、このころまでに文化大革命は基本的に収束しており、社会全体がその暗い影を吹き飛ばして、新しい文芸の息吹が全国を覆っていく。陳染はこの時代をリードした若い作家群のひとりであり、意欲的な作品を次々に発表していった。しかし一九八九年の天安門事件の衝撃は大きく、これらの作家たちもそれぞれの立場で、それまでとは違うスタンスを持たざるを得なくなる。彼らにはある意味で成熟があり、またある意味では変節もあった。本書は一九九六年に発表されたのだが、陳染をこの長編作品執筆へと突き動かしていったのは、こうした時期を経てなお、その内面に熾きのように燃えている情念だったのだろう。
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