Browse
立ち読み
巻頭随筆

不登校の子どものこころ     齊藤万比古

 

 不登校のこころに触れる前に、この現象が一向に減少しない現状をどうとらえたらよいかという点から始めたい。不登校は、社会的活動を回避し家庭にひきこもるという現象であることから、子どもを取り巻く環境の悪化を強調する観点がある一方で、社会的な場にとどまるこらえ性のない子どもの心性やそれを育む親機能の低下を中心に据える観点も存在し、両者が常にぶつかり合ってきたというのが、わが国の不登校論の特徴的な展開である。

 私はこの両者のどちらかに肩入れすることをしたくない。おそらく、不登校はこの時代の空気と日本人の心性を優れて象徴する現象であり、どの時代にもその時代心性を象徴的にあらわす特異的な(病理)現象があったように、現在は不登校がそれなのではないだろうか。では不登校に関与する子どもや若者の心性の現在性とは何であろうか。

 その第一に挙げるべきは、友人関係あるいは仲間集団との関係に対する傷つきやすさ、あるいは過敏性の亢進である。言うまでもなく、友人関係の挫折は昔から不登校の背景要因として重要であった。かつて仲間集団から離れることは大きな葛藤と喪失感を伴い、不登校に踏み切るとき、その挫折感は何ものにも替えがたいほど大きなものであった。しかし、現在の子どもたちの友人関係はどこか表面的であるように見える。仲間に入れ込んでいるようでも、些細なすれ違いでたちまち仲間との関係をあきらめ、攻撃的になったり、家庭にひきこもったりする。これは、同年代仲間集団における関係性の危機を切り抜ける能力の衰弱のように感じられてならない。

 第二に挙げておきたい点は親子関係をめぐる世代間境界の曖昧化である。母親からの心理的分離が思春期の発達課題と言われて久しいが、現在ではいつまでも友人関係のような母親との親密さが続き、分離・独立をめぐる反抗が表立って現れない思春期の子どもが珍しくないのである。そのような親子関係は、子どもの自己愛に幼い万能感の空気を注入し続けてそれを膨らませることにつながり、結果として傷つきに対する心理的過敏性を過剰に高い水準にとどめようとする。そのため、子どもは親の期待を取り入れ、自らの理想と感じる心性を思春期に至っても維持し、親の自己愛と子どものそれが未分化な関係性にとどまる傾向が増すことになる。

 ところで、子どもの自己形成上の経過には挫折がつきものであり、その傷つきから回復するプロセスこそ心理的親子離れを促進し、現実志向的でしなやかな自己愛の形成を刺激するというのが思春期発達の標準経過であるとされてきた。しかし、すでに触れた、思春期に至っても親子共有の自己愛が高い水準で維持されている場合には、挫折による傷つきを親子共に過大評価する。結果として、子どもは社会的な場に対して回避的となり、親と子どもは共に自分たちを傷つけた環境に他罰的な怒りを向ける。

 かくして不登校が始まり、子どもは自己愛性を増し、仲間集団や学校への怒りを膨らませる一方で、自身の社会的能力の乏しさを直感し、実際には自信を失いながら、自己愛性を共有する親との結びつきに防衛的にしがみつこうとする気持ちが爆発的に強まる。

 不登校におけるこのこころの状態は、ある親子の特殊な関係性ではなく、わが国の社会の到達点として多くの親子に内在しているのが現代という時代なのである。


 
執筆者紹介
齊藤万比古(さいとう・かずひこ)

恩賜財団母子愛育会総合母子保健センター愛育病院小児精神保健科部長。医学博士。専門は児童思春期精神医学、力動精神医学。千葉大学医学部卒業。国立国際医療研究センター国府台病院精神科部門診療部長などを経て現職。著書に『不登校の児童・思春期精神医学』(金剛出版、2006年)、『不登校対応ガイドブック』(編著、中山書店、2007年)、『ひきこもりに出会ったら』(中外医学社、2012年)、『ひきこもり・不登校から抜けだす!』(監修、日東書院本社、2013年)ほか多数。

 
ページトップへ
Copyright © 2004-2014 Keio University Press Inc. All rights reserved.