ディスレクシアは読字障害とか読み書き障害を意味する医学の専門用語で、19世紀の近代医学の基礎ともなる脳の研究にそのルーツをみることができる。このディスレクシアはLD(学習障害)の約80%を占める中核的な存在であることもよく知られている。
知的発達に目立った遅れはないのに、認知的な発達の偏りから生じる学習上の問題を抱えるLDに対しては、医学よりも教育の課題として、その対応にエネルギーが注がれてきた。
2004年、LD、ADHD、自閉症らを包括する発達障害者支援法が成立、翌年に施行されることとなり、LDは広く教育用語としての市民権を得た。06年の暮れ、私は『LDとディスレクシア』(講談社+α新書)という一冊の本を世に出した。その冒頭でわが国での歴史を振り返り、「LDという米国で盛んに用いられる教育用語でさえ、障害児教育の学校関係者はもとより、教育専門家からもほとんど無視されがちであったこの時代に、ディスレクシアなどという医学用語を教育界に持ち込むことは、理解の時計の針を逆進させてしまう恐れすらあった」と書いた。この本は私自身がLDの啓発活動のなかで、ディスレクシアの封印を自ら解いたものでもあった。
ところで、わが国でノーベル文学賞に最も近いといわれる村上春樹氏は私の好きな作家であり、2009年春、新作
『1Q84』(新潮社)が出ることを知り、早々に予約注文した。私は大きな勘違いをしていた。私のライフワークの一つは心理検査の開発なのだが、本のタイトルを「IQ84」と見間違ったのである。手元に届いてから「IQ(知能指数)」ではなく、数字の1とアルファベットのQであることを知った。まさにディスレクシア的間違いであった。
しかし、本を読み進めると、重要な登場人物「ふかえり」と主人公の天吾との間で、こんな会話が繰り広げられる。
ふかえり「ホンはよまない」「よむのにじかんがかかる」「よんでいるふりをする」
天吾「君が言ってるのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」
「ディスレクシア」とふかえりは反復した。
「読字障害」「そういわれたことはある。ディス――」
私の驚きは頂点に達した。つまり、われわれの世界で物事がしだいに普及していく様を称して、「専門用語」が「教育用語」に、やがて「日常用語」に移行していくという。まさにディスレクシアが医学の専門用語から、LDという教育用語として広まり、その教育用語からさらに流行小説の中で日常用語として使われ始めた瞬間を実感する出来事であった。
村上春樹という作家は、われわれが何十年もかけて、まるで薄紙を剥ぐように少しずつ地道に推し進めてきた啓発の道を、たった一夜にして、200万人を超える読者に知らせるという大仕事を成し遂げてくれたのである。
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