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巻頭随筆

投薬の意味と、信頼関係     村田豊久

 

 私がこの原稿の依頼を受けた翌日、NHKテレビの「クローズアップ現代」で、「“薬漬け”になりたくない〜向精神薬をのむ子ども〜」という番組が放映された。私はこれを見て強いショックを受けた。少数とはいえ、不適切な薬物療法が続けられ、副作用に苦しんだ子どもがいること、またそのことから子どもが児童精神科の治療を受けることへの懐疑が起こりつつある危惧を抱いた。

 ここでどうしても、医療においてどうして薬が投与されるようになったのか、それはどのような意味を持っているかということから考えなおしてみなくてはならないと思う。

 薬は、使用しなくてよいとしたらそれにこしたことはない。しかし、治療者が苦しんでいる人、あがいている人に、これがよかろうと思った薬を与えるということから医療は始まり、3000年以上もその手法で医療が続いてきた。そしてとても不思議なことであるが、現在の薬理学的知見で理にかなった薬物が登場したのはせいぜい70年前からであって、3000年近くも病者はどうして効くのかわからない薬をのんで病から癒え、そして人類はその効果は説明されない薬によって生き延びてきたといえよう。これは、苦痛にあえいでいる病者を全身で受け止め、苦しみから救おうとする治療者の献身的な働きかけのなかで、良好な今でいう医師・患者関係が生まれ、その状況で自分に奏功すると治療者が判断した薬物投与に病者は反応し、病から脱する力を回復したのである。

 このような医療の歴史は、薬物治療は単に薬物の薬理学的作用によって効果が生じるのではなく、その苦痛や困難を救ってやりたいという医者の熱意・誠意を感じ取ったとき、医者の薬物治療は効果があがってくるとみなされることで成り立ってきた。この30年、向精神薬の薬理学的な研究は格段と進み、理論的には不安焦燥や抑うつに対して著しい変化が期待されるものが開発されてきた。しかしながら、そのような新薬でも二重盲検の検定ではプラセボ(偽薬)とそれほどの差異が見出されないこともある。また新薬がとても高い有効率を示すのは、良好な医師・患者関係のもとでの薬物投与である、という報告もある。

 このような事情を踏まえると、薬物治療というものが、薬物のもつ実験室での薬理作用をよりどころとして、医療において何よりも優先されるべき、薬物を投与するまでのプロセス、患者と医師の信頼的関係の構築がおろそかにされているという気がしてならない。どの薬物を処方するか、どれぐらい続けるかは、そのあとのことであろう。

 いま流布している向精神薬のほとんどは、投与量や、期間、副作用の出現頻度なども大人を基準に想定されたものであって、子どもの場合はよくわからないという説明が付されている。にもかかわらず、ある症状を呈しているときは投与する事態も起こってくる。その時でも、原則は少ない量を、できるだけ短い期間に、ということになる。

 だからこそ子どもの薬物治療においては、大人の場合よりさらに治療関係をどうつくるかに腐心し、子どもが安心して医師に頼ってくれるよう努力しなくてはならない。子どもの生命に危険が迫っているという場合を除いては、薬をのむことの目的、期待される効果などをよく子ども自身に話してやるべきである。「この薬は落ち着いた気分になると思うよ」「痛みが軽くなってくるよ」と話し、理解してもらわなくてはならない。

 
執筆者紹介
村田豊久(むらた・とよひさ)

児童精神科医師。元「教育と医学の会」会長。九州大学大学院医学研究科博士課程修了。福岡大学医学部助教授、九州大学教育学部教授、西南学院大学教授、村田子どもメンタルクリニック院長などを歴任。著書に『自閉症』(医歯薬出版、1980年)、『子ども臨床へのまなざし』(日本評論社、2009年)、『子どものこころの不思議』(慶應義塾大学出版会、2009年)、『子どものこころを見つめて』(共著、遠見書房、2011年)など。

 
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