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巻頭随筆

虐待とパターナリズム 満留昭久

 

 虐待の報道がされるたびに、加害者である保護者の多くは異口同音に“しつけのつもりでした”と供述しています。しつけは、その国の文化、その時の社会や個人的な背景により異なっているので、「しつけと虐待はどこに境界があるのか」という問いに虐待の専門家さえ明確な答えを見出すのはなかなか難しいようです。

 『発達心理学用語辞典』によると、しつけとは「大人が子どもを一人前の社会人に仕上げる目的で、日常生活における基本的な価値、生活習慣、行動様式などを子どもに体得させようとする行為」と記載されています。

 医療の世界では“パターナリズム”(温情的父権主義)という言葉がよく使われます。医療におけるパターナリズムは、医師が患者さんの意志に関わりなく患者さんの利益のために、患者さんに代わって意思決定し介入することをいいます。その意味でしつけは、子育てにおけるパターナリズムということができます。しつけは、親の視点に立った子どもへの介入、温情的父権主義といえるのです。

 判断能力がまだない年齢の子どもたちに介入するしつけ(弱いパターナリズム)では、体罰や賞罰により直接子どもの行動を規制し、親が求める望ましい行動の習慣化を図りがちでした。このしつけの技法として体罰や無視などが用いられていたがために、しつけと虐待の境界が不明確であるという錯覚をわれわれに抱かせることになったと考えています。しかし医療におけるパターナリズムは、患者さんの「自己決定権の侵害」という立場から、近年批判されるようになってきました。しつけにおけるパターナリズムも、「子どもの人権」という立場から批判されるようになってきているといえるのです。

 虐待は親の視点ではなく、あくまでも子どもの視点から論じられるべきものです。虐待はパターナリズムではないのです。日本小児科学会の「子ども虐待診療手引き」の冒頭に次のような記載があります。

 「(子ども虐待の)定義の重要な点の一つは、それが『加害者の動機』が含まれていないことです。加害者が子どもに対して加害行為をしようという動機や悪意の有無は、それが虐待であるか否かを判断する条件にはなりません。子どもの虐待は『子どもの健康と安全が危機的状況にある』という認識です。たとえ、養育者が良かれと思っても、信念を持ってしつけたとしても、虐待と判断される場合もあり得ます」(日本小児科学会より)

 また川崎二三彦氏は「しつけと虐待は全く異なるもので、連続線上にあるものではない」と明確に述べています。

 子どもの人権という視点からみると、しつけとはパターナリズムに基づいた子どもに加えられた体罰の正当化の意味ももっています。そして虐待は、子どもの健全な発育が阻害されるかどうかという子どもの側からみた視点であり、子どもの人権侵害なのです。

 私たちは「しつけと虐待はどこに境界があるのか」という問いには、確信をもって「しつけ」と「虐待」は全く異なるものだ、と答えなければなりません。

 
執筆者紹介
満留昭久(みつどめ・あきひさ)

福岡国際医療福祉学院学院長。国際医療福祉大学教授。NPO法人子どもの村福岡理事長。福岡大学名誉教授。小児科医師。医学博士。専門は小児医学。九州大学医学部卒業。福岡大学医学部小児科学教授、医学部長などを経て現職。著書に『ベッドサイドの小児の診かた(第2版)』(編著、南山堂、2001年)、『小児科学(第3版)』(分担執筆、医学書院、2008年)など。

 
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