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巻頭随筆

子どもと危険     山中康裕

 

 子どもにはいつも危険がつきまとう。危険が全くない状態などは考えられない。実は、危険を回避する術(すべ)を自らが体得していなければ、本当に自らを守ることはできないのだ。

 最も端的な例を示すと、ある子が毎日幼稚園に通っていた。いつも必ず祖母が彼の手を引いて通っていた。ある日その祖母が風邪をひき、誰も彼の手を引く者がいなかった。案の定、彼は通園の途中で交通事故に遭い亡くなった。この場合、祖母はいつも細心の注意を払って彼を守っていたが、いつも必ず彼の手を引いていたので、彼自身は全く自らの身を守る術を身につけていなかったのである。

 一方、今度の悲惨な東日本大震災の際に、七十数年前の津波のことを常に語っていた老婆があった。その話を聴いていた子どもたちは、津波が発生したとき、まず自ら高台に向かって走り、何十人もの子どもたちが、独力で自らの命を救うことができたのである。前者の祖母は、たった一人の孫すら守れなかったが、後者の老婆は、多くの命を救ったのであった。

 この例で知られるように、子ども自らが危険を回避する術を身につける必要がある。そのためには、日頃からの危険に対する心構えが必要なことが知られよう。さて、私は、二十五年勤めた京都大学をやめて、翌日から、カワンセラー(河川救護師)になった。子どもを救う救護師ではない。河川そのものを守る救護師なのである。それは、絶滅を危惧される生物種を中心とする生態系などの保護であったり、汚染が進んでいる河川そのものでもあったりもするが、《自然》とキレてしまった人間を元に戻すのが究極の目標なのだ。ここに《自然》とは、山・海・川・星等の外的自然たるマクロコスモスは言うに及ばず、カラダという内的自然たるミクロコスモスをも包含する概念なのである。これら《自然》との関係性がキレてしまったからこそ、昨今の、以前ならとても考えられない奇ッ怪な事件が群発するようになったのだ、との把握があるからだ。

 その手始めに、九頭竜川で、園児たちにサクラマスの幼魚、つまりヤマメの稚魚を七千尾放流する企画を行った。無論、地元の漁協の協力の下に、である。ある園長は、子どもたちを川に連れていくなんて危ないから、と反対された。私は、無論その考えはもっともだが、保護者の見守る中で、という条件で、これを遂行した。子どもたちの目が輝いたのはもちろんのことである。ただし、あの神戸の都賀川での事故を思い出してほしいが、上流で直前に1時間三〇ミリを超す雨がある場合、その下流で無防備に遊ぶなどというのは、愚の骨頂である。ちゃんと、自然の摂理と、それに対する常日頃の対応を学んでいるならば、子どもたちを危険から守ることはできるのだ。単に危険だから近づかない、というのでなく、何からどのようにして守るのかを、日頃から身につけていくのが自然との接し方の基本であることをこそ、忘れてはならない。

 

 
執筆者紹介
山中康裕(やまなか・やすひろ)

浜松大学大学院教授、京都大学名誉教授、京都ヘルメス研究所長。医学博士、臨床心理士、カワンセラー(河川救護師)。名古屋市立大学大学院医学研究科修了。名古屋市立大学医学部助手・講師、南山大学文学部助教授、京都大学教育学部教授、同学部長・研究科長などを経て現職。第19期学術会議会員。近著に『深奥なる心理臨床のために』(遠見書房、2009年)、『子どものシグナル』(バジリコ、2006年)、『山中康裕著作集・全6巻』(岩崎学術出版社、2002〜4年)ほか多数。

 
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