Browse
立ち読み
巻頭随筆

耐える心を養う     成瀬悟策

 

 "耐える"は広辞苑によると、"力いっぱいこらえる。じっと我慢をする"とある。堪(た)え忍ぶ、我慢するなどのことばを連想して、なんだか陰気臭く痛々しい気分になれば、他人(ひと)様には奨めにくいが、それと対比して、堪(こら)え性が悪い、直ぐ切れるなどとなれば、やはり耐える心が大切と言わざるを得なくなる。

 この問題に示唆を与える興味深い臨床場面があるので、それから始めよう。肩凝りで悩む人に、「右耳へ着けるようにゆっくり右肩を上げましょう」で上げてゆくと、途中、凝りのところで痛みが出る。その時「アア痛い」と止(や)めたり逃げてしまう人と、強く我慢して頑張り過ぎ、筋肉痛を起こす人に大別されるが、そうでなく、痛みを感じながら、そこに停(とど)まって待てる人がある。気持ちを落ち着け、痛みを感じてそのままで居ると、その感じが変化して、痛みが消えてゆく。感じることでリラックスしたのである。さらに一段上げるとまた痛むので、そこで待って、痛みが消えたらまた上げて、痛みで停めて待つ、を繰り返せば、楽にリラックスしながら、無理なく肩をいっぱいまで上げてゆける。動きの自由になった肩には当然肩凝りもなくなっている。

 痛みの場合に限らず、どうせ直面しなければならない困難なら、どんな難しい状況でも、そこで逃げ腰やがむしゃらの頑張りでは状況を不当に見誤る。慌てず立ち停まって、痛みや苦しみを落ち着いてジッと感じていると消えてゆく。我慢で堪え忍ぶのでなく、静かにその気持ちを感じていると、おのずと消えてゆくのが体験できる。この時の心境を"あるがまま"とは言い得て妙である。逃げも、頑張りもせず、胆(はら)を決めて、その場に直面して、あるがままに感じていることが、まさにその厳しさや痛みを自ら処理・解消していることである。それに気づけば、始めに厳しく感じたのも、それが自分の思い過ごしだと分かってくるし、同時に、もともと人生で本当に耐えられないほどに厳しい事象などあるものではないことにも気づけるはずである。

 耐える心を養うといえば、専ら心の問題とされ、精神力を鍛えることと受け取られ、艱難汝(かんなんなんじ)を玉にすと、難行苦行が年齢を問わず唱道され、あるいは見方考え方など心の在り方を変えればよいとされてきた。本当に心だけでそんなことができれば結構なことだが。

 幸いに、私たちのうつ病やノイローゼなどの最近の研究から、難局に対処するには状況に応じて自由に緊張したりリラックスでき、あるいは背伸びや突っ張り、深呼吸、手足や全身を屈(ま)げたり伸ばしたり、歩いたり走ったりなどから、静座、座禅、瞑想に至るまで、身体を心と一体的に動かせるような体験を重ねることだと分かってきた。至極く単純で具体的なからだを動かすという動作に過ぎないため、それは単なる機械的・生理的な運動と見られやすいが、それを動かしている微妙な心の活動の仕方や、そこで得られる人生における貴重な体験の蓄積こそが、大人(おとな)・子どもを問わず、悩み・迷いから、うつや神経症その他生活のあらゆる難局に対応できる心を養う最高の土壌だ、というのが私たちの結論である。

 
執筆者紹介
成瀬悟策(なるせ・ごさく)

九州大学名誉教授。医学博士。臨床心理士。専門は臨床心理学、教育心理学。臨床動作法の創始者。東京文理科大学心理学科卒業。九州大学教育学部教授、九州女子大学・同短期大学学長などを経て現職。著書に『講座・臨床動作学1〜6巻』(編著、学苑社、1995〜2003年)、『動作療法』(誠信書房、2000年)、『リラクセーション』(講談社、2001年)、『動作のこころ』(誠信書房、2007年)、『からだとこころ』(誠信書房、2009年)など多数。

 
ページトップへ
Copyright © 2004-2011 Keio University Press Inc. All rights reserved.