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巻頭随筆

「反抗期」あれこれ    永田良昭

 

 孫娘の成長を祖父の眼でとらえた動物行動学者の興味深い記録がある(島泰三『孫の力』中公新書、2010年)。孫娘は、2歳すぎの頃、もてあますほど反抗的になる。薬は飲まない。喜びそうなデザートで釣ろうとする説得はさらなる反抗を招く。幼児期に見られる自我の形成に係わる反抗期の描写である。

 反抗期と聞くと、マーガレット・ミード(1901―78)の南太平洋の東サモアの調査を思い出す。成果は、1928年に公刊(畑中幸子・山本真鳥訳『サモアの思春期』蒼樹書房、1976年。1961年版の訳)された。幼児期と思春期の「反抗期」をシャルロッテ・ビューラが指摘したのは同じ年であり、ミードは反抗期という言葉は知らなかったかもしれない。また、ミードの関心は思春期の少女にあった。ミードによると、長い授乳期を過ぎた幼児は年上の少女に任され、彼女らは、15、6歳までは子守りに追われる。子どもがわがままになりかけたときに、年下の子どもの世話をせざるをえなくなることで、自然に社会化されると記す。しかも、子守りの少女たちは力ずくで幼児を従わせることはないという。少女たちも、重い荷が運べる思春期になると、子守り役は年下の少女へと交代して解放される。

 サモアでは、血縁以外の姻戚関係を含む20人近い人々が家族的単位を形成し、一家の大人は、少女たちに子守り以外の用事も指示する権限がある。しかし、少女たちは大家族のそれぞれの住居を渡り歩く自由がある。子守りも含めて、仕事の少ない親戚の家を移動する。愛情や権威が誰かに集中することはない。子守りから解放された後は家事や畑仕事に従事するものの、未婚の間は勝手に魚捕りに長期間出かける自由もある。強制や制限による強い緊張もなく徐々に成熟していく。ミードは、アメリカの若者たちは、学校や家庭や異なる信仰をもつ人々の排他的な規範のもとで、選択を迫られる危機に遭遇するという。サモアの少女の思春期にはその圧力がなく、したがって反抗する必要もないと読める。

 1983年、サモア語も十分でないミードの聞き取り調査は信頼性に欠けるなどとする批判をデレク・フリーマンが公にした(木村洋二訳『マーガレット・ミードとサモア』みすず書房、1995年)。しかし、2009年には、フリーマンへの反論が別の人類学者の手で刊行されたという。

 ミードの記録の信頼性を判断する材料を筆者は持たない。しかし、幼児期の詳細は不明としても、思春期についてミードが「反抗期」の証を記録していないと同時に、7歳頃から子どもたちは血縁や地縁的な同性からなる自発的な集団を形成し、時には守りをする幼児を連れて仲間との遊びに参加すること、その集団は10歳を過ぎる頃まで続く、と記録していることに注目したい。団結の強いある9人の少女集団について、常に一緒に遊び、よそ者には団結して対抗し、思いやりがあり、進取の気性をもつことを記録し、集団生活による社会化の効果を見た、と書いている。

 筆者は、1998年のジュディス・ハリスの集団社会化仮説(石田理恵訳『子育ての大誤解』早川書房、2000年)を思い出す。ハリスは、十代の若者たちによく見られる不穏当な行為は、大人への背伸びではなく、仲間の規範に照らした行動の調整と、仲間集団の存在の主張の現れであるという。仲間との生活こそが社会化を可能にする、というハリスの主張には説得力がある。

 絆の強い同輩との係わりは、一方的な権威をもつ関係よりも、柔軟な、しかし主体的な自己主張をいかに行うかを経験させる場になりやすい。現代の若者たちは、このような仲間集団をどこに見出しているのか知りたい。

 
執筆者紹介
永田良昭(ながた・よしあき)

学習院大学名誉教授。文学博士。専攻は社会心理学。京都大学文学部哲学科心理学専攻卒業後、同大学院文学研究科博士課程退学。編著書に『集団行動の心理学』(共編著、有斐閣、1987年)、『人の社会性とは何か』(ミネルヴァ書房、2003年)、『現代社会を社会心理学で読む』(共編著、ナカニシヤ出版、2009年)など。

 
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