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巻頭随筆
子どもを犯罪から守る責任は誰にあるか   安藤 延男         
 
 

  「人間」は、他の哺乳類に比べ、生まれて自立までに長い時間を必要とする。これを「人間は、生理的早産だ」と言ったのは、動物学者のポルトマンであった(『人間はどこまで動物か』高木正孝訳、岩波新書、1961年)。とにかく、人間の子どもは、親や家庭、周囲の大人の手厚い愛護(ケア)がなくては、生存も成長も、そして人格の豊かな発達も阻害される。まことに特異な「種」である。

 したがって、そうした必要・十分な愛護の供給が何らかの形で欠如した場合は、直ちに適切な福祉サービスを提供しなければならない。つまり、里親制度や保育サービスなどを整え、「保育に欠ける状況」を一刻も早く解消する必要と責任があるのである。

 しかし、最近の日本社会に見られる急激な所得格差の増大や、貧困家庭の親たちの長時間就労や低賃金など、「ワーキング・プア」の増大は止まるところを知らず、ますます「保育に欠ける」状況を蔓延させている。こうした環境は、家族や地域の「子どもを犯罪から守る」力を衰弱させ、各地に「子どもの受難」が多発している。OECD(経済協力開発機構)の報告書でも、日本の子どもの貧困率が、主要な先進35カ国中、下から2番目だという残念なデータにも反映されている。世界第2位を誇る経済大国日本も、子どもの福祉の水準では自慢できるレベルにない。

 さて、今回の本誌の「特集1」は、5つの文章からなっている。西岡氏と原田氏の論考は、そうしたマクロな社会・経済状況のもとで、「今」、「何」ができるかを検討する内容である。そのため、子どもに対する犯罪の実態把握と防犯研究が取り上げられている。小宮氏の論考は、安全マップの作成とその活用である。防災マップでいう「災害地図づくり」にあたる。毛利氏による、子どもの「直感」や地域住民のリスク感覚に基づく防犯対策は、住民や子どもの参加によって防犯運動の質的向上と有効性を高めるだろう。松井氏の論考の「子どもの性犯罪の防止」は、どこの社会、いつの時代にも、重要な課題である。紹介されている海外での取り組みも、大いに参考になろう。

 たまたま『ハンドブック 子どもの権利条約』(中野光・小笠毅編著、岩波ジュニア新書、1996年)を読んでいたら、ジャン=ジャック・ルソーの言葉に出食わした。「わたしたちは弱い者として生まれる。わたしたちには力が必要だ。(略)わたしたちは分別をもたずに生まれる。わたしたちには判断力が必要だ。生まれたときにわたしたちがもっていなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる」(同、20ページ)。

 とにかく、子どもには、加害者の見分けはつかない。すると「子どもを犯罪から守る」責任は誰にあるか。親や家族、地域の大人、学校の力に俟つしかないことを再確認したい。

 
執筆者紹介
安藤 延男(あんどう・のぶお)

九州情報大学副学長。九州大学名誉教授。教育学博士。専門は教育心理学。九州大学大学院教育学研究科博士課程修了。九州大学教授、福岡県立大学学長、学校法人福原学園理事長、西南女学院大学学長などを経て現職。著書に『コミュニティ心理学への道』(編著、新曜社、1979年)、『これからのメンタルへルス』(編著、ナカニシヤ出版、1998年)、『人間教育の現場から』(梓書院、2005年)、『コミュニティ心理学への招待』(新曜社、2009年)など。

 
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