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巻頭随筆
Communicability―その関係の内実
  ――あえて「なんだ! そのくらいのこと」   中村 亨         
 
 

 耳をつんざくような轟音であった。昭和十七(一九四二)年二月、東洋で随一といわれた上野・浅草間の地下鉄の中でのことだ。当時、国民学校一年、七歳の私は父の転勤に伴って上京し、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する思いで、初めて憧れの「地下鉄」に乗ったのだ。
 現在のスマートに無音化した車両とは異なり、鉄の箱のようなボロ電車を、そのまま遠慮会釈なく地下トンネルに突っ込んだような地下鉄だった。走行速度の上昇につれて、ガムシャラに貫き響く轟音は、力の限り耳を押さえても如何とも堪え難いものとなり、幼い私には不条理とも思われるこの苦痛を必死に父に訴えた……がその声は鳴り響く車両の音に掻き消されて父には届かぬのか、見上げた父の目は微笑をさえ含んでいて、そのことも私の状況への不適応感はつのるばかりである。
 車両の走行を、この際一個人の要求で止められないことぐらいは、子どもの私にも分かっている。しかし不可解なのは、父の表情に苦痛の色が少しも見えないことだ。……すると、大人とはこの程度の苦痛等には耐えるほどの修練を持つ者なのか……。その解釈のもとに私は、その時の父のまなざしを「なんだ! そのくらいのことで」というメッセージとして『読み込んで』しまい、不承不承に身を屈するような苦痛にも耐えたのだ。
 戦時に突入し、暖衣飽食を戒める社会情勢下での子どもの持つ理解の体制からは不可避の環境下では、己の欲望の赴く方向はほとんどすべて悪であった。甘いお菓子、心ひく玩具、美麗な衣服、暖かな部屋、果ては人々からのやさしい扱いからさえ「身に余る」ものとして遠ざかることを美徳とする自己規制を、この機会は、私に一段と強化して終わったのだ。
 父の側はどうか。成人の、すでに鈍化した聴覚の態勢からしては、子どもの新鮮で鋭い聴覚での内的な苦痛は感受できない。話も聞き取れないままに、やさしい父は私が『驚き喜んでいる』ものと解釈して幸いであった。少なくとも「こんな、文句の多い子どもは御免だ! もう連れてこない」という断絶的態度を培わずに済んだのだ。
 今さら言うまでもなく、コミュニケーション内容の実質は、個人相互間の意味付与の出来事である。言い換えれば、発信者側の表出意図と受信者側の解釈体制との相補関係によって決定される。そこには、常にズレがある。それは、表面的には“discommunication”そのものである。つまり、実際の communicability とは、常にその要素を含むということだ。しかし、この事態を持続させるには、特に教育においては、決定的な基底原理を再度厳密に把握し直さねばならない。必要十分な時間に培われる関心と信頼という基盤がなければ、どのような結果にせよ成り立たない。教師にはこのことへの深い洞察と、その上で、あえて「なんだ! そんなことぐらい」ということが通ずるまでの周到な取り運びが必要なのだ。教科内容を教えるに先立つこの基盤づくりが、現在の学校に充分あるだろうか。「昔の教師は……」と簡単に言うなかれ、社会状況はまったく異なる。このことを保証する教育行政、人事、運営の取り運びがなければならない。付け加えて、子どもの両親との関係にも……。

 
執筆者紹介
中村 亨(なかむら・とおる)

西南女学院大学教授。九州大学名誉教授。教育と医学の会理事。名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。専門は教育学。著書に『発言表を使用する授業分析』(日本教育方法学会、1987年)、『子どものパラダイム転換の可能性を考える』(文部省研究成果報告書、1996年)など。

 
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