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立ち読み
巻頭随筆
子どものこころとサイン  村田豊久         
 
 

 近所の小学校や中学校を昼休みに訪れると、子どもたちが楽しそうに動き回っている。笑顔でのびのびふるまっていて、とても悩みや苦痛を抱え込んでいるようには見えない。ところがこの子どもたちが教室でチェックした自己評価尺度によると、疲れて何もする気持ちになれない、やろうと思ったことが全然できない、独りぽっちの気がする、逃げ出したい気持ちになる、生きていてもしようがないと思う、などの質問項目にその通りだと答える子どもが、30%以上に及んでいる。表面はどうにか取り繕っていても、こころの内には不安や悲しみを背負っている子どもが多いということになる。

 学校への適応に問題が起こったとか、家庭でも生活リズムが乱れてきたということで、さまざまな愁訴をもって私の診療室にもいろいろな子どもが受診してくれる。頭痛、腹痛が続く、食欲がない、夜眠れない、朝起きれない、学校に行きたくない、もう長く休んでいる、何も楽しいことがない、いらいらする、誰かを叩きのめしたい、なにか落ち着かない、他人と視線が合わせられない、などである。このような症状や苦痛は、子どもが追い詰められた心理状態の表現であり、どうにか耐えてきた不安や悲しみの感情がある限界を超えた、という子どものこころのサインである。しかし、そのような症状をしめし、行動異常を起こした子どもに対面しても、どのようなことが基盤にあるのか、どのような経由で子どもたちがそこまで危機的心理状態になったのかは、なかなか理解できない。子ども自身の声をしっかり聞くことが大切だと思った。

 子どもが私を安心できる人物かなと思ってくれると、子どもはかなり素直に気持ちを語ってくれる。しかし、その子どもの話を聞いても、それがどういうことを意味するのか、この子は本当は何を悩んでいるのかがわかりにくく、子どものこころの内を読みとれないと実感することが最近とみに多くなった。

 小学3年生の男児が「僕は大きくなったら、ずっと家で寝て暮らしたい」と語った。もう人と付き合うのはいやだ、働くのはもっといやだという。私は彼にからかわれているのかと当初思った。しかし、家庭はごたごた続きでこころを痛め、学校では友人にもいじめられることが多く、もうどうにでもなれという気持ちになっていたのであった。

 中学1年生の少年が、自分の描く将来の理想の世界について話した。「早く人類は滅びたほうが良いと思う。そしたらコンクリートの都会も朽ち、原生林が復活する。空気はきれいになり、水は澄んで地球は美しくなる。魚も鳥も野生動物もゆったり生活できる」と。それを語る時の少年の目は輝き、生き生きしている。本当にそう願っているようだ。大人たちに、もう今までの生活パターンを御破算にしてゼロから出直したほうが良いのでは、と問いかけているようにも感じた。

 このような子どもに、今の日本でも一緒に元気を出して生きていこうという気持ちを起こさせるのは容易ではない。この子どものこころのサインを読み、理解するのも難しいが、この子どもたちのこころを虚無的に、そして絶望的にしている状況に共感してやり、前向きの希望に変えさせるのはもっと困難である。子どもたちの教育や臨床に携わるものは、常に子どもたちを温かく見守り、一緒に今の困難を乗り切っていこう、そのための援助は惜しまない、というサインをこちらも送り続けることが解決の糸口になると考えられるし、それ以外に方策は見出しがたいように思われる。

 
執筆者紹介
村田豊久(むらた・とよひさ)

村田子どもメンタルクリニック院長。児童精神科医師。医学博士。九州大学大学院医学研究科修了。パリ大学医学部医学心理学教室勤務、福岡大学医学部助教授、九州大学教育学部教授、西南学院大学教授などを経て現職。自閉症、子どものうつ病などに児童精神科の臨床家として長年携わる。著書に『子どものこころの病理とその治療』(九州大学出版会、1999年)など。

 
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