ADHDというカタカナどころか、横文字の、それも略字のコトバが横行するようになって久しい。いわずと知れた、ATTENTION DEFICIT HYPERACTIVITY DISORDER つまり、注意欠陥多動性障害の意味内包をもつアメリカ製の術語であり、1980年代からはやり始め、悪名高い治療哲学なしのDSM-IVにも採用されてしまったタームであるが、私は、この概念に当初から反対であった。
理由は二つある。彼ら注意欠陥といわれる子どもたちなどいないというのではない。一つは、明らかにそういう子どもたちはいるのだが、これらは明らかに状況関数との結果であり、彼らに注目してくれる人がいて彼らのしたいこと言いたいことをきちんと聞いてくれる状況があれば、彼らは決して注意を集中できないどころか、ちゃんと集中できるし、多動すら消えることが分かっていたからである。よって、これには器質障害が基礎にある、という考え方に異論があったのと、ほかならぬ私自身が、この範疇でとらえられる子どもだったに違いないと思うからでもある。後者はあまりに個人的なコトだから、お話にならないという方があるであろうが、論とか説とかいうのも、ほかならぬ個人から発するのであることから一目は置いてほしい。
それはともかく、器質障害に関して、ある原稿を依頼され、私はインターネットを一切しないので、ちょうど遊びに来た孫に、妻が使っているコンピューターでADHDの画像データを出してもらったら(おそらくアメリカのデータだと思われるが)、年齢分布の棒グラフが出てきた。これは、3歳から急増しはじめ、13歳あたりがピークで、しかし、そこから漸減して、23歳あたりで収束する図であった。これはいい、とそれを引用する形で書いたところ、出典を明らかにして欲しい(コレハ至極当然ノ要求デアル)とのコトで時間を置いてもう一遍見たら、もうそのデータは消えていた。仕方がないので、以前読んだ、この項目にあたる文献を探し出したのだが、Mannuzza,S.(1993)によれば、1970年から開始した103例の対象児のADHD症状が、18歳時に40%、26歳時に11%であった、と述べていた。このことから見ても分かるように、器質障害が加齢によって減少していく訳がないことを説いた。これは例えば、脳波によって器質障害が明白なてんかんと比べれば、一目瞭然であろう。はたして脳波異常が加齢によって減少していくであろうか? ADHDの器質障害を明らかに証明した論文はいまだないのである。これは、以前のMBD(微細脳損傷)や、自閉症の器質障害論と同一線上にくる論である。これらが、器質障害ではないことを明確に論じた器質症状研究の第一人者・原田憲一の論文は、今でも有効である。
しかし、こうした基礎論のレベルではなく、臨床的、実践的な意味では、ADHD概念の果たしてきた功績はやはりあるのであり、私はそれらをも一緒くたに蹴落とすつもりは全くない。今ここに、新たに本誌がこの特集を編まれるのも、その線上にあり、幾多の方面から、幾多の論述がなされ、真にこの問題を抱えて苦しんでいる子どもたちへの真の福音をこそ、早く望みたいものである。
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