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巻頭随筆
他者の心を慮(おもんぱか)ることの難しさ  丸野 俊一           
 
 

   生後2〜3週の新生児が、自分の顔や表情がどのように成っているかを知らないにもかかわらず、大人の表情を真似る(「舌だし」「口開け」など)。ここには他者の行為を真似て、他者の振る舞いを自らのものとして取り込もうとする働きがあり、他者との間の関係性づくりの始まりを見ることができる。9カ月くらいになると、他者視線の動きをとらえ、他者の見ているものを見ようとする。さらに視線の共有だけでなく、見ている人の表情と見ている対象とを交互に見返して、同じものを見ていることを確かめたりする、いわゆる共同注意と呼ばれる現象が見られ、そこに他者と「意図」を共有したい心が現れるようになる。
 このように、目に見えない他者の意図や心を、幼児がどうして読めるのかに関してはミラーニューロンが関与しているようだ。ミラーニューロンとは、他者の行為を観察すると、脳の中にあたかもその行為を自分が行っているかのように知覚し、脳内にその表象(記憶痕跡)をつくる前運動ニューロンである。鏡(ミラー)のようなニューロンと呼ばれる理由は、これらの一群のニューロンはある特定の行為をしたときに活性化するだけでなく、他の人が同じ行為をするのを知覚したときにも活性化するからである。このニューロンの活性化が、他者の表情の模倣だけでなく、他者の行動の背景にある内的状態をシミュレーションする、すなわち他者の意図や気持ちや心を読むこと(マインド・リーディング)に関与しているのではないかという。また四歳くらいになると、他者の心を読み取り/理解する能力である“心の理論”が発達するという。心の理論とは、「人は、その人なりの欲求や願望や意図のもとに行動するが、その人の意図や願望や欲求、すなわち心の状態は、自分とは同じではない」ことを分かる能力である。だとするならば、少なくとも、4〜5歳までの間に、定型発達児には「他者の心を慮る能力」が育つことになる。
 にもかかわらず、最近の社会を震撼させる残酷な事件がどうして起るのであろうか。何かが変である。
 「人の心はそれぞれ」であるが、「人それぞれ」の本来の意味をはき違え、「それぞれ」の部分だけが強調化され、自分に都合のよい歪んだ解釈をすると、自分勝手な振る舞いになりやすい。その意味では、自分の視点からとらえた「他者の気持ち(心)を分かる」という「シンパシー」(感情移入)による他者の心の理解の仕方には限界がある。そうではなく、「人の心はいくら理解しようとしても分からない」という前提のもとに「自分と他者の心や視点の違いを識別しながら、意識的・能動的に他者の立場に自分の身をおき、自分だったらどうするかを考えながら他者の気持ちや心を読み取り、自分の行動をコントロールするといった「エンパシー」(自己移入)によるコミュニケーションの仕方が求められる。このエンパシーによるコミュニケーションの在り方の本質は、“自分には関係ないこととして、傍観者的に、他者や世の中の出来事をとらえるのではなく、もし自分だったらどうするか(なるか)と自分のこととして引き受け、真剣に自分と対話する”姿勢である。自分を棚上げしない、世界や他者への関わりの姿勢である。
 だが、この姿勢を持ち続けることは、極めて難しい。マインド・リーディングや心の理論が育つ、すなわち、頭で分かる知識が育つことと、日常の現実場面に身を置き、その他者との関係の中で自分の行動を適切にコントロールできる力が育つことは別である。それだけに、「人それぞれの心を大切にし、他者の心を慮る能力と関わりの姿勢が育つ」ためには、自分を棚上げしないで物事に真剣に一人ひとりが関わり、エンパシー型のコミュニケーションのもとに、対人関係を生き続けることが大切ではないかと考える。

 
執筆者紹介
丸野 俊一(まるの・しゅんいち)

九州大学大学院人間環境学研究院教授。教育学博士。専門は認知発達心理学。九州大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。著書に、『知能はいかにつくられるか』(ブレーン出版、1989年)、『子どもが「こころ」に気づくとき』(ミネルヴァ書房、1998年)、『心理学のなかの論争』(ナカニシヤ出版、1998年)など。

 
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