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巻頭随筆  第55巻10号 2007年10月
「子ども力」  前田重治          
 
   最近では「老人力」という言葉が流行している。ここに「子ども力」というものがあってもいいだろうと思う。
 子どもは純真無垢である。大人のように分別や道理というこの世の制約で固められていない無邪気さがある。そして見知らぬものへの好奇心も旺盛で、冒険が好きである。想像力が豊かなので、自分の思うままにふるまえる仮想世界の遊びが好きである。一方で、勝ったり負けたりする遊びに没頭し、活動を楽しむ。時にはその活発なエネルギーは悪戯へもはみ出して、まわりが振りまわされることもあるが。ともかく時間を忘れて、空想の中でも、現実においても、好きなことに夢中になって楽しむという遊び心に満ちている。それらのエネルギーが「子ども力」である。
 「遊び」というのは、「仕事」とは違って、その結果よりもその手段、そのあいだのプロセスのほうが大切なもので、そこでの活動でさまざまな欲望や感情が大いに発散されることになる。遊びによっては、未知の世界に心をおどらせて、さらに新しいものを工夫したりする。また一方で、憧れているヒーローと同一化して魔術的で万能感的な夢が満たされたり、競争に勝って自尊心がふくらんだり、負ける悔しさを味わったり、妥協するという知恵も学んだりする。こうして子どもたちは、遊びをとおして育ってゆく。
 こうした「子ども力」を借りてゆこうとする大人もいる。その最たるものが芸術家だろう。彼らは子どもの自由で、新鮮で、無邪気な目で世界を見直して、マンネリ化した作風に活力を与えようとする。たとえばピカソやミロをはじめとした子どものいたずら描きみたいな絵画は、「子ども力」が生きている。草野心平とか谷川俊太郎などの詩人たちも、大いに「子ども力」にあずかっているようにみえる。
 しかしこれは、芸術家だけにとどまるものではない。われわれの暮らしの中でも、現実から心を退ける「退行」(幼児返り・童心に戻る)という形で、「子ども力」が発揮されている。それはさまざまな遊びや趣味の世界である。もちろん身も心も子どもになれるものではないので―またそうなったら大変なので―一時的に、部分的に退行して、「子ども力」にあやかっている。それができる人は、心の柔軟性のある健康な人である。酒の席でも白けている人、お祭り騒ぎに夢中になれない人は、自我の硬い不健康な人である。また愉快なゲームとか遊びに参加できない人も、熱中できる趣味を持たない人も、さらに旅に出ても日常性から解放され得ない人も、うつ病になりやすい。ふだん、子どもの目線に立ってものごとを感じたり、見られないような人は、子どもの相手などできないものだろう。
 「子ども力」の中には、ハメをはずしすぎたり、エゴイズムが剥きだしになったり、野暮で繊細さを欠いた残酷な衝動も含まれている。それで時と場所とを心得て、ほどよくバランスよく子どもの世界に退行できる人が、健康な大人であるといえよう。こうして、自由に退行できて、「子ども力」にあやかれる能力というのは、ストレスの解消に役立つ。そして生活をいつも新鮮に保つことができるように思われる。
 
執筆者紹介
前田重治(まえだ・しげはる)

九州大学名誉教授。医学博士。専門は、精神医学と精神分析学。九州大学医学部卒業。著書に『心理面接の技術』(慶應通信、1976年)、『心理療法の進め方』(創元社、1978年)、『図説・臨床精神分析学』(誠信書房、1985年)、『不適応の精神分析』(慶應通信、1988年)、『原光景へ』(白地社、1995年)、『芸論からみた心理面接』(誠信書房、2003年)など。

 
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