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巻頭随筆  第55巻5号 2007年5月
三歳の意義を考える          小林 登
 
 「三つ子の魂百まで」という諺でも明らかなように、三歳児健診で行われる子どもたちの成長・発達評価が、ヒト一生の最初のマイルストーンとして重要なことは、我が国では周知の通りである。
 国際育児幸せ財団は、世界中のこのような言い伝えを調べて報告しているが、三歳という言葉を用いているのは、日本、中国、韓国の東アジア三国である。しかし、子どもの時、特に小さい時の生活の在り方が重要であることは、すべての国で共通している。人類は長い歴史の中で、三歳に代表される小さい時の育て方や生活体験が、後の人生にとって重要であることを、それぞれの文化の中で学んできたのである。
 三歳になるまでは、子どもは一般に「乳児期」(infancy、言葉が話せない時期)、そして「トドラー期」(toddler期、よちよち歩きの時期)を、家庭技術としての育児、続いて社会技術としての保育・幼児教育との組み合わせで育てられている。そこで、心の発達にとって最も重要な意義は、「基本的信頼(basic trust)」、即ち「人生は平和である、周りの人は誰でも自分を愛してくれる」と思えるようになることである。同時に、体も成長し、粗大運動も微細運動も、そして約一千語の言葉を駆使するようになり、コミュニケーション力も発達し、さらに、箸を使って食事する、大人型の睡眠パターンに近づく、排泄のコントロールが可能になる、衣服の着脱ができる、母親が目前にいなくても耐えられる等、脳の機能も発達し、日常生活にほぼ困難がないことも重要である。
 しかし、三歳までの生活体験に問題があれば、「基本的信頼」を含めての初期発達に支障をきたすことも、色々な事例が示している。したがって、この時期は、一貫した愛情豊かな育児・保育・教育により、認知的・社会的・身体的な発達に必要なものが充分に与えられなければならない。即ち、体には良い栄養が、心、特に脳には良い情報が必要なのである。
 情報といっても、乳児期は言葉以前なので、優しさで代表される「感性の情報(sensitive information)」が中心である。それは「マザーリーズ(motherese)」で明らかである。「良い子ね、ママよ」という母親の言葉には、独特のリズム・ピッチ・抑揚などがあり、乳児はその「感性の情報」によって母親の「良い子である」と思う心を理解している。幼児期に入り言葉が発達し、ある程度コミュニケーションできるようになって初めて、「悪い子」に対する「良い子」の意味が論理的にわかるといえる。もちろん、「おんぶ」や「だっこ」のような、スキンシップ等の優しさも重要であることは言を俟たない。
 三歳のもう一つの意義は、直立二足歩行が可能になることである。これにより、子どもは自分の意思で、栄養も情報も直接求めることができ、特に体の外からの情報は、質も量も大きく変わる。そのうえ、言葉により論理的に考えることができるので、三歳以後は、「理性の情報(logical information)」の果たす役割も大きくなる。特に、「心の理論」を含め、人間として生きるために社会的な「術(すべ)」を、それで学ぶ意義は大きい。
 三歳の意義を考えれば、乳幼児の育児・保育・教育の重要性は良く理解できる。我が国の現状をみると、より良い育児・保育・教育の方法を作り上げるべき時にあり、それに対する我々研究者、また社会の役割も大きい。しかも、それには学問の領域を超えた学際的な、自然科学と人文科学を統合する「子ども学(Child Science)」の研究が必要なのである。
 
執筆者紹介
小林 登(こばやし・のぼる)

子どもの虹(日本虐待・思春期問題)情報研修センター長、ベネッセ次世代育成研究所所長、東京大学名誉教授、国立小児病院名誉院長。医学博士。専門は小児科学・子ども学。著書に『こどもは未来である』(メディサイエンス社、1979年)、『育つ育てるふれあいの子育て』(風濤社、2000年)、『風韻怎思―子どものいのちを見つめて』(小学館、2005年)など。

 
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