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立ち読み  
巻頭随筆  第54巻11号 2006年11月
現場主義と創造的展開  西澤潤一
 
   創造とは申すまでもなく常識への反逆である。もちろん、これまで全く何も調べられていない、つまり常識というものが全く存在しない範囲での創造は別であろう。しかし、アインシュタインのような天才児でも、なかなか常識の存在しない範囲での絶対的創造だけという訳にはいかなかった。
 教育は常識を脳味噌の中に注入することから始まる。これでは、まるで創造を妨げる行為のように考えられる。しかし、常識は、その多くを正しいと考えてよい事柄であって、否定し、構成し直さなければならない部分はそれ程大きくないのが普通である。
 さればとて、これを教えている時には、どこが修正されなければならないかは、分かっていないから、あたかも全部が正しいと思われるように教えることになるからである。
 そんなことに気がつくようになったのは、自然科学における創造の歴史について若干の知識を持つことになっていたことと、旧制高校に入ってから、かなりまとまった時間を当てることが可能になったことである。
 中学時代の物理の水木先生は中学の講義の中でも、「もっと上級な講義では、こういう風に考えて、こう説明するが、」とちょっとずつ、より正当な解釈と説明を覗かせて下さった。この先生のお薦めに従って、アインシュタインとインフェルトの『物理学はいかに創られたか』と、創元社が科学叢書として発売していたうちの一冊、ガモフの『不思議の国のトムキンス』を読むことから始まった私の読書遍歴は、今も続いている。創元科学叢書は名著揃いで、一生を通しての研究手法を定めてくれたとも言えるブリッヂマンの『現代物理学の論理』もこの中の一冊で、ポアンカレの『科学と仮説』など名著が多い。
 ちょっと細かくなりすぎたが、自分のと他人のとを問わず、実測結果をよく吟味して、常識的な考えが妥当か否かをよく調べることを常に行っていなければならない。ちょっとした隙が長蛇を逸することがあることを常に意識して、緊張を続けていることが不可欠である。そして、改めて解釈し直す必要があるとなれば、これは既に創造への扉を叩いたことになる。もし、その時直ちに適切な解釈ができないとしても、必ず別のノートなどに要点を書き残して毎日夕刻にでも読み直してみるといった努力を頭脳に強いる方法を実施することが必要で、せっかく追いつめた大魚を逃すことになる。
 とにかく現状つまり常識と考えられる範囲でも、よく考え疑っていることが大切で、同じ常識の範囲でも、例えば温度特性など、測らなくてもどのようになるか推測できる程度によく理解していなくてはならない。それでなくては温度特性を測定した時、定説に誤りがあったり、興味ある現象が共存していても見逃すことになる。つまり理解なきところに創造はあり得ないということになる。
 つまり創造はもとより、その必然を見抜くことも、考えることがすべてであると言える。
 理科系のことについて述べたが、応用まで含めた工科系のことは、理科系の仕事と異なって、多くの付帯現象を伴っているので本質を見抜くことは難しいが、充分に分析的に考えていく根気を持ち続けることが難しいだけのことである。しかし、このような分野で成功した場合、実り多い成果が酬いられる。これも現場主義と呼ばれ、創造的展開の宝庫とされてきた。文系についても殆ど同じで、要するに、現場をよく視て考えることであろう。あまりやられていないので、大魚を捕らえることが多い。
 
執筆者紹介
西澤潤一(にしざわ・じゅんいち)
首都大学東京学長。工学博士。専攻は半導体工学・光通信。東北大学工学部電気工学科卒業。東北大学教授、同大学総長、岩手県立大学長などを経て現職。著書に『強い頭と速い頭-教育という「複雑科学」』(明窓出版、2005年)、『戦略的独創開発』(工業調査会、2006年)、『教育制度の再生』(監修、学事出版、2006年)など。
 
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