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巻頭随筆  第54巻10号 2006年10月
早期教育に何を求めるか  安藤延男
 
    「早期教育」といえば、どんなイメージが浮かぶのだろうか。音楽ファンなら、今年が生誕250年の年に当たる「神童モーツァルト」などが脳裏を掠めるかもしれぬ。
 さて、『発達心理学辞典』(1995年、ミネルヴァ書房)をみると、「早期教育」とは発達の早い時期に、特別な目的に向かって系統的・組織的に学習や訓練を行うこと、と定義されている。そして、次の3つの範疇、つまり(1)障害児の早期教育、(2)才能開発の早期教育、(3)発達促進的な知的早期教育、に区分されている。
 第1の好例として、自閉症児の早期教育がある。近年、「アスペルガー症候群」と呼ばれる軽症の自閉症が増えてきた。小児自閉症の主な症状としては、ゼロ歳児(乳児)の時期から、親を含む身近な他者との対人関係がスムーズにいかないとか、特定の人物(例えば母親)に対する「愛着」が芽生えないため、「人見知り」も発現しないなど、特異な症状が報告されている。こういうケースでは、早期の教育的ケアが肝要であり、専門家や両親、教師などが協力して、当該児童とマメにかかわり、濃厚なスキンシップを通じて発達の遅れを改善するよう努めたり、あるいはまた行動療法などの技法を用いて基本的な対人スキルを習得させ、社会生活への参加を促すなどの働きかけが有効である。一方、同じ障害をもつ子の「親の会」や担任教師、学校管理者などに対しては、この障害の特徴やその後の見通し(予後)について理解を深めさせ、当該児童にとって受容的な環境や雰囲気を提供することも大切である。
 第2は、才能開発の分野での早期教育である。幼稚園や小学校低学年の段階でみられる外国語や音楽、スポーツなどの「お稽古ごと」などがその好例であるが、中にはもっと本格的なものもある。しかし、「絶対音感」と音楽学習の関連、学習に対する「準備状態」(レディネス)や「臨界時期」などについての基本認識を欠いたまま、ただ闇雲に「早期教育」に走るのでは、子どものストレスが嵩じるだけだろう。そしてついには、興味や「やる気」が萎え、「燃え尽き」を招くであろう。これでは、「早期教育」も、何のことやら分からなくなってしまう。
 第3の「発達促進的な知的早期教育」は「英才教育」とも呼ばれる。しかし、この手の早期教育については、特殊の領域に焦点を絞るあまり、他の分野の学習がおろそかになるといった「副作用」も出てくる。最近、スポーツ界などで、幼少年期から特定のスポーツの練習に明け暮れたあげく、10代の初期にプロ選手としてデビューするのを見かける。しかし、早期教育の甲斐もなく成功を勝ちえなかった人々は、どうなっているのだろうか。
 要するに、現実の「早期教育」が脳科学や発達心理学、保育原理などの人間諸科学の知見と合致しているかどうかが大切なのである。それには、当の社会・文化に固有の一般的教育課題と個人の早期教育的課題とのバランスをとり、いやしくも「早期教育」が各段階の発達課題の達成を妨げることのないよう、配慮すべきであろう。
 
執筆者紹介
安藤延男(あんどう・のぶお)
西南女学院大学学長。九州大学名誉教授。専門は教育心理学。九州大学大学院教育学研究科博士課程修了。教育学博士。九州大学教授、福岡県立大学学長、学校法人福原学園理事長などを経て現職に至る。著書に『コミュニティ心理学への道』(編著、新曜社、1979年)、『これからのメンタルへルス』(編著、ナカニシヤ出版、1998年)、『人間教育の現場から』(梓書院、2005年)など。
 
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