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立ち読み  
編集後記  第64巻4号 2016年4月
 

▼木蓮の風のなげきはただ高く    中村草田男

▼私の実家には白木蓮があり、この俳句を知ってから毎年春になると木蓮の花を見るのがひそかな楽しみとなりました。葉のない枝々に木蓮の大きな白い蕾が立ち並ぶ頃になると、いつ開くだろうと気になります。白木蓮の花はすぐに汚れ、乱れ、散ってしまうので注意していないと気づいたときには花は無残に散り一年後を待つことになってしまうからです。特に実家を離れたここ数年は見過ごしてしまうことが増えてしまいました。

▼年度の始め、慌ただしい日が続きます。木蓮を見上げてため息をつきながら詩情に浸る余裕もありません。どの職場でも同じかと思いますが、大学教員にとっても新年度はとても忙しく、毎日帰りが遅くなってしまいます。
 なんとか仕事を終えて夜十時頃に帰路の地下鉄に乗り込むと、一人の男性がドアが閉まる直前に駆け込んできました。私は動作法という心理学的リハビリテーションに取り組んでおり、その男性は以前に私が担当したことのある脳性マヒの男性だと気づきました。とても疲れた様子でうつむいているために、真正面に座っている私にも気づきません。二人とも電車を降りることになってやっと私に気づきます。私が「遅いですね」と声をかけると「お互いに」と返されたので、なんとなく二人で笑い合いました。

▼乗り換えのために階段を降りようとする彼に「エレベーター、使わなくて大丈夫?」と尋ねると、「大丈夫。エレベーターまで行くのが億劫で」との返事。酔った人や帰路に急ぐ人々で混み合った下りの階段は、足首をうまく曲げることができない彼にとっては非常に危険で私もヒヤヒヤしながら見守ります。
 しかし、残業のあとの疲れ切った身体でエレベーターのところまで遠回りするのは「億劫だ」という彼に、私は何も言えませんでした。バリアフリーが進む日本ですが、この「煩わしさ」や「億劫さ」への理解はまだまだ不十分のような気がしました。

▼その出来事から半年たって動作法の会で彼に会いました。身体の感じを確認しながらゆっくりと弛めるように援助します。「地下鉄で会ったきりですね。相変わらず忙しいですか」と彼のほうから声をかけてきました。上半身も下肢も動きづらくなり、少し強めに援助をすると彼も顔をしかめることがあるのですが、その言葉に彼も少し余裕ができたのかなと私は感じました。最後のセッションでは、大きく腕を動かしたり、立って歩いて身体の感じの変化を確かめてもらいました。別れ際の「また、どうしようもなくなったら来ます」という彼の言葉に、私は「本当はそうなる前に来てほしいけど」と心のなかで呟きます。どうしてもがむしゃらにやるしかない時があることは、同じサラリーマンとして私にも分かるからです。
 今号の特集を参考にしながら、彼らが働き続けるためのサポートについて私も考えてみたいと思います。

 

(古賀 聡)
 
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