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編集後記  第63巻1号 2015年1月
 

▼平成26年10月20日、「教育と医学の会」の元会長である安藤延男先生が逝去された(享年85)。先生の訃報を聞いたとき、「巨星落つ」の感を強く抱いた。先生は、「教育と医学の会」にとってとても大きな存在であった。謹んでご冥福をお祈りしたい。

▼安藤先生は旧制中学三年(15歳)の時に終戦を迎えた。思春期の最も多感な時期に、周囲の価値観が大きく揺らぐ様をどんな思いで先生は見ておられたのだろうか。このときの体験が教育者としての先生の生涯を決定づけたのではないかと想像する。というのも、以後、先生は戦後の新しい教育制度のなかで学ばれ、心理学者として研鑽を積み、時代に敏感な青少年のこころと向き合い、それを支援することを一生の仕事とされたからである。
 昭和24年、九州大学に新たに設置された教育学部に入学。卒業後、教員を務めた後、再び大学に戻り、教育心理学を専攻(教育学博士)。当時、多発していた大学生の自殺を予防するために設けられた学生相談室の活動に尽力された。平成2年に九州大学教授を退官後は、福岡県立大学をはじめ、福岡県内の数多くの大学の学長を歴任された。教育界においても、先生の存在は大きかったのである。その傑出したリーダーシップは誰からも尊敬された。それは単に先生のご専門が集団心理学であったからではなく、なによりお人柄によるところが大きいと思う。

▼「教育と医学」の編集委員にとっても、安藤先生は慈父のような存在であった。恰幅が良く、精気にあふれ、大きな声で話すのを好まれたので、常に編集会議の中心であった。先生のそばにいると、自然と温かい気持ちに包まれ、誰でも明るくなれた。先生のいない編集会議など考えられなかった。当然、会長を長く務められた。平成十五年、創立50年を迎えた「教育と医学の会」が西日本文化賞(学術文化部門)を受賞したとき、共にお祝いしたことが懐かしく思い出される。
 同時に、先生には15歳の頃と変わらない純粋さと好奇心があった。清廉で正論を堂々と述べられる一方で、茶目っ気もあった。驚くほどの読書家であり、鞄のなかから新刊書を取り出しては解説されるのを常とした。本誌にも、「折々の一冊」と題する書評欄を連載された。

▼新年を迎え、最初の特集は「思春期の発達障害とどう向き合うか」と「子どものネット(スマホ)依存の危険」である。発達障害もネット依存も20年前までは考えられなかった今日的テーマである。しかしながら、青少年の新しい問題だからといって、私たちがなすべき支援の基本は、20年前となにか違いがあるだろうか。いや、違ってはならないのではないか。安藤先生が一貫して歩まれた道を振り返ると、そんな気がする。

▼先生のご葬儀はキリスト教式で行われた。そこで、筆者は先生が10代の終わりに洗礼を受けたことを初めて知った。安藤青年の魂が天に召されて、星になったのだと思うと、私たちの心も安らぐ。先生、有難うございました。

 

 

(黒木俊秀)
 
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