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立ち読み  
編集後記  第62巻9号 2014年9月
 

▼文化祭に展示するために「好きな文字を書く」という習字の課題について、「一」という漢字を書いた中学校1年生の男子。彼は真剣に考え、ものごとの最初の一歩を表すために「一」を選んだ。手抜きをしていると思い込んだ教師は、書き直すように指示したが、普段は大人しくやさしい生徒だと思っていたその子は、凄い目をして教師を睨みつけ拒否した。その反抗的態度をみて教師は家庭訪問し、本人と親に書き直すように改めて指示したが、彼は“間違ったことをしていない”と頑として書き直さなかった。そして彼の作品だけ展示されなかった。

▼学校や家庭で、ときに教師や親から持て余される、一風変わった子どもたちが存在する。現在いろいろな面から調査をすすめているが、その子どもたちに特徴的なことは、知覚や知性や感情等で過剰な面があり、非常に強い倫理観をもち、自らの興味関心のままに、対象を広い視野で俯瞰的にとらえ分析し、他者からの視線や評価にとらわれることなく、自分で考え判断するところにある。私は、いわゆるギフテッド(確定された定義はないが、一般に平均よりかなり高い能力を先天的に有する人を指す)と区別するために、便宜的に「独特の思考と表現をする卓越した子ども」と呼んでいる。

▼米国ではギフテッドを選抜して、能力を伸ばすためにGATE(Gifted and Talented Education)プログラムを用意してきた。現在、米国ではギフテッドとして選抜される子どもは全体の6%と言われている。その特別な教育プログラムを受けるために、ギフテッドに選抜されたい子どもや、自分の子どもをギフテッドにしたい親が増加し、ギフテッドを選抜するためのテスト等に向けた訓練も盛んであるという。結果、GATEプログラムを素直に受講し続けている子どもたちは、他者からの評価に基軸を置き、与えられた課題に成果を出すために頑張って勉強して優秀な、いわゆるhigh achiever が多いとも言われている。
 教師や親から高く評価されるhigh achieverに対して、「独特の思考と表現をする卓越した子ども」は、教師や親にとって都合の悪い子どもである。自ら論理的に納得いくことであれば別だが、そうでなければ、教師や親の意向や指示に考えなしに従うことはない。

▼こういった子どもたちの問題は定型発達と非定型発達の問題でもある。いわゆる定型発達がマジョリティの学校や社会の中で、マイノリティである非定型発達の子どもは、定型発達を強いられることになっていないだろうか。それは、定型発達の教師や親や子どもからの非定型発達の子どもへの理解が全く十分でないことに起因する。言い換えれば、定型発達の観点で、子どもをステレオタイプ的にとらえ、一人ひとりの子どもを深く理解しようとしないことによる。「独特の思考と表現をする卓越した子ども」を手がかりにして、こういった子どもたちも共に生きる教育システムを構想実践していくことは、教育とそのあり方を根本的に見直すことである。

 

(田上 哲)
 
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