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立ち読み  
編集後記  第61巻12号 2013年12月
 

▼今月の第一特集は、「問う力」である。一般的に「問う力」とは、「因果関係を問う力」が重視される場合が多い。しかし、「原因」を問うことは厄介である。現実には「原因」となりえる候補は数多くあり、しかも多次元である。また状況によって、要求されるレベルも異なるからである。そして、「原因を問うこと」が適切であるかどうかもわからない場合も多い。

▼たとえば、小規模な食中毒事件が起きたとしよう。一般的には、「なぜ食中毒が起こったのか」という問いがなされる。調査の結果、ある仕出し屋の弁当を食べている人に食中毒が多発していることがわかれば、原因は「その仕出し屋の弁当」であったということで、社会から満足が得られる。しかし、学校給食を食べた小学生に大規模な食中毒事件が起こった場合、原因は学校給食であると断定するだけでは社会は納得しない。問題が深刻だからである。そして、「学校給食のどの食材に菌が入っていたか」を特定しないといけなくなってしまう。そしてそれだけではなく、「いつ(When)、どこで(Where)、誰に(Who)よって、何の菌が(What)、なぜ(Why)、どのように(How)入ったのか」にまで遡らなければならなくなる。しかし、この問いに誰もが満足する答えをすることは到底不可能であり、それらを追求することによってスケープゴートを生むことにもなりかねない。
 食中毒事件において、「原因食材」と「菌」が同定された後の「適切な問い」は、「どうしたら同様な食中毒を予防できるか」ということであろう。米国でハンバーガーを食べた子どもたちに大腸菌O157による大規模な食中毒事件が起こったことがあった。その時は、FDA(Food and Drug Administration:米国食品医薬品局)がハンバーガーの内部温度を68.3度以上にするよう勧告することで、再発を予防することに成功した。

▼さて、現在、「発達」や「メンタルヘルス」の問題を抱えた子どもたちは少なくない。その相談の際に、親から「どうしてうちの子どもはこんなふうになってしまったのでしょうか」と聞かれることがある。聞きたい気持ちはわからないではないが、そのような「問い」に「正解」はなく、それを追求することも生産的でもない。また、「どのような治療で治るのでしょうか」という「問い」に対する答えもむずかしい。薬物療法やカウンセリングはある程度の効果はあるが、それによって治ることはあまり期待できないからである。
 むしろ、「どうしたら、この子どもはより成長できるか」と「問うこと」のほうが適切であると思う。「成長」とは、少しずつ「自立」していくことである。「手伝い」「学業」「運動」などで「適切な目標」を持って、「繰り返し、繰り返し練習」することで、「できること」は確実に増えていき、「自立」につながっていく。それが成功体験となって、自己肯定感を持てるようになり、子どもが「良く生きる」ことに前向きになれるきっかけを得られることもあると思われる。

 

(馬場園 明)
 

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