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立ち読み  
編集後記  第61巻8号 2013年8月
 

▼体罰や暴力を受けた子どもの心身の傷つきや自殺は、管理・指導や教育のあるべき姿を問うている。今夏の大会を前に日本高野連が全加盟校を対象にした実態調査では、ほぼ90%が体罰を「絶対にすべきでない」と答えた一方で、ほぼ10%が「指導するうえで必要」と回答した(新聞報道)。3月に体罰と部員の部内暴力やいじめの根絶を目指すことを通達した矢先の結果である。スポーツ界では体罰・暴力容認の意識が渦巻いていた実態が明らかになってきた。

▼体罰は、言葉による注意で効果がない相手に対する教育的な指導であり、叩く・殴る・蹴るなどの直接的な痛みを伴う行為がとられることが多い。言葉よりも記憶に残りやすいために教育効果が高いと考える肯定派もいる。しかし体罰が人格の否定や心身に及ぼす重大な影響が報告され、体罰はすべきではないとの考え方が絶対的になってきている。
 本号では、体罰が子どもの脳に与える影響、体罰がいけない理由、体罰の連鎖、諸外国での取り組みを特集し、体罰を再考する機会にしたい。ともすれば感情のままに相手にふるってしまう暴力や体罰がいかに子どもの心や脳にダメージを与えるのかをきちんと認識することが、根絶のためには必要であろう。

▼体罰の連鎖を断ち切る赤裸々な言葉があった。桑田真澄氏は、「……ほんとは悔しいですよ!」と壁を叩き、足をけり上げる仕草をした。思わず本音を見せてしまい、少し気恥ずかしそうだったが、続けてこう話した。「でもね、怒っても何もいいことはないんです。怒っても野球はうまくならない。それよりこの経験を次に生かすことが大事ですから」(新聞報道)。
 子どもの失敗や期待外れなど、指導者として思い通りにいかない状況に怒りを覚えることも多い。しかし怒りの解消を指導・管理する相手にそのままぶつけることは短絡的であろう。体罰の連鎖を断ち切るには、指導・管理する大人が遠き慮(おもんぱか)りを持って自分の感情をコントロールすることが必要だ。

▼ここで、懐かしい童謡「かなりや」(作詞:西條八十)を思い出した。
 (本誌には、歌詞を掲載)

▼自分の思い通りにいかない子どもを、棄てる・埋ける・ぶつことはかわいそうで、してはならないことである。子どもに内在する力をきちんと観て、一人ひとりの心身に沿って育めば、子どもはおのずと歌い始める。威圧的なかかわり方に対する子どもの恐怖心や怒りは、心の中で柳の鞭になって病気や不適応行動などの形でいつか暴れ出すだろう。「かなりや」を口ずさんでみたら優しい気持ちになった。誰もが親しんだ童謡に「教育の本質」につながる真実がある。折にふれ聴き、口ずさみたい、大人にこそ必要な童謡だ。

 

(荒木登茂子)
 
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