Browse
立ち読み  
編集後記  第60巻06号 2012年6月
 

▼2013年に、アメリカ精神医学会は、精神障害の診断分類DSMの新しい改訂版であるDSM-5を公表する予定である。DSMは、過去三十年間余り、世界のメンタルヘルス専門職の共通言語として大きな力を持ってきた。例えば、近年、アスペルガー障害の概念が急速に普及したのは、1994年に発表されたDSM‐Wが、広汎性発達障害のカテゴリーのなかに、自閉症とともに同障害の診断基準を採用したことが契機となっている。同時に、自閉症の中核的な特徴を部分的にしか認めない「特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)」という軽症のタイプも含めたことが、最近、発達障害の診断が増えた理由の一つといわれている。というのも、アスペルガー障害やPDD-NOSは、必ずしも幼い小児期に症状が明らかになるというわけではなく、学童期に至って、あるいは成人後、社会に出て初めて気づかれることも少なくない。以上のように、DSM‐Wは成人後の発達障害に対する私たちの視界を広げたのである。

▼先日、DSM‐5の自閉症診断基準の改訂にあたっている中心人物から直接話を聴く機会があった。現在、最終の検討段階にある改訂案では、広汎性発達障害のカテゴリーは、自閉症スペクトラム障害という名称のカテゴリーに置き換えられるらしい。そして、その中にアスペルガー障害やPDD-NOSのようなサブカテゴリーを含むことを止めるという。というのは、自閉症とアスペルガー障害、あるいはPDD-NOSとの境界線がはっきりせず、臨床的に区別することに意味があるのかという批判が以前より強くあったからである。自閉症スペクトラム障害とは、自閉症という特異な発達障害は、重度の知的障害やことばの遅れを伴う子どもからごく軽症の健常な子どもに近いものまで、ひとつの連続体をなしているという概念である。実は、アメリカの一部の州では、アスペルガー障害の診断では、自閉症に対する医療・福祉・教育のサービスを受けられない所があるらしく、そういうことをなくそうという狙いも今回の改訂案には込められているようである。

▼しかし、この改訂案は多くの議論を呼んでいる。その一つは、自閉症スペクトラム障害の診断基準は、DSM‐Wよりも対象となる発達障害の幅が狭く、それを厳密に適用すると、従来、アスペルガー障害やPDD-NOSと診断されてきた人たちが除外されるという不利益を生むというものである。もちろん、私が話を聴いた人物は、そんなことはないと反論していたが、この問題には、海外のメディアも注目しており、世界中の当事者とその家族が大きな関心を寄せている。

▼せっかく広がった発達障害に対する私たちの視野が、今さら診断基準の改訂によって狭まるとは思えないが、現在、支援を受けている人々がそれを受けられなくなるという事態は避けたいものである。と同時に、診断名をつけることのメリットとデメリットも改めて問い直してみたい。

 

 

(黒木俊秀)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2012 Keio University Press Inc. All rights reserved.