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編集後記  第60巻03号 2012年3月
 

▼未曾有の震災から1年近くの月日がたった。この間、日本中から被災地に向けてさまざまな支援が行われた。それは建物や耕地などの生活インフラの復旧だけでなく人々の心のケアにも向けられた。こうした取り組みのひとつとして、被災写真の再生活動があることをご存じだろうか(「思い出サルベージ」日本社会情報学会災害情報支援チーム)。津波で流されてしまった家族の写真やアルバムを洗浄、修復し、それを持ち主のもとに返す活動で、大切な家族の思い出やきずなを取り戻す手伝いをしようという取り組みである。それは写真やアルバムが過ぎ去った人生の単なる記録ではなく、人が今を、未来を生きるうえでも大切な何かであることをあらためて感じさせる。

▼そもそもなぜ私たちは家族写真を撮るのだろう? なぜそれをアルバムにしたり、大切に保存したりするのだろうか? 社会学者のブルデューは、一般人が家族や風景の写真を撮り、保存し、眺める行為を「写真実践」と呼んで、ほんの半世紀ほど前に始まった新しい習俗ととらえた。そしてその頃から家族はもっとも人気の高い被写体だった。

▼ブルデューによれば、家族が一緒に写真を撮ることは家族の大切な儀式であって、人々はそこに参加することで家族意識やきずなを再確認すると述べている。また私たちは、それをアルバムに整理し大切に保管する。アルバム作りは自分たち家族の物語をつむぐ作業なのである。私たちが家族写真に託す思いは今もそれほど変わっていない。記録方式がデジタルや動画へと移り変わっても、私たちは相変わらず家族を撮りつづけている。

▼被災写真の再生プロジェクトの活動を知ったとき、昔のあるテレビドラマを思い起こした。それは家族の偽りと平和の崩壊を描いたホームドラマ『岸辺のアルバム』(山田太一)である。回を追うごとに家族の秘密が明るみになり、次第に皆の信頼やきずなが失われてゆく。もっとも印象的だったのは、ドラマの最終回、家族の眼前で氾濫する川の濁流に呑まれてゆくマイホームから、とっさに家族のアルバムだけを持ち出す、というシーンだった。

▼ドラマのなかで持ち出されたアルバムは、失ってみて初めてものごとの大切さに気づくという、いつもの人間の愚かさを象徴しているようだった。しかしそのとき筆者には、アルバムとともにかすかな希望も救済されたように感じられた。そのアルバムに、いずれまた歩み出さねばならない登場人物たちの足元を照らすほのかな灯を見たからだ。事実は違ったとしても、アルバムにはあるべき家族の姿が写っていたはずだ。彼らにとってそれは、捨て去るべき過去ではなく、未来のために救済されるべき過去だったのではないか。

▼ひるがえって、被災写真の再生活動である。被災写真を再生し持ち主のもとに届ける活動は、過去の思い出の救済というだけでなく、被災地の人々が新しい物語をつむぐ後押しをする、未来に向けた支援でもあると思う。

 

 

(坂元一光)
 
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