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編集後記  第58巻12号 2010年12月
 

▼ミュージアム・エデュケーションの取り組みが広がっている。この夏休みもたくさんの子どもたちが美術館での催しを楽しんだことだろう。ミュージアムは、子どもの感性をはぐくむ揺りかごであり、愉快なテーマパークだ。感性のとらえ方は人によってさまざまだが、ここではとりあえず、身体を介した世界とのコミュニケーションの様式と大きくとらえておこう。そして、それはまた、人間の身体や世界の深い層において交わされるものでもある。実はこうした深いコミュニケーションは、美術作品に限らず詩やマンガなど異なる表現様式においても見られ、それらはひとしく人間や世界との共感的で創造的なむすびつきを用意してくれている。

▼絵本や児童書でも人気の高い詩人の谷川俊太郎は、新聞のインタビュー記事の中で、人間は社会内存在と宇宙内存在からなり、詩の表現様式は人間本来の宇宙内存在としての側面につながっていると述べている。人間は自然の一部として生まれ、成長とともに言葉を身につけ教育を受け、社会内存在となっていく。散文は社会内存在としての範囲内で機能し、詩は言語に被われる以前の人間の宇宙内存在としての側面に触れようとするという。このような詩のはたらきは、ミュージアムにあふれる絵画やオブジェにもそなわっている。詩も美術品も、頭でっかちな理屈や説明から自由になるための感覚や、自分を取り巻く世界ともっと上手に楽しくつき合うための想像力を呼び起こすからだ。

▼今年、NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が好評を博したが、そこに登場する水木しげるのマンガにも深いコミュニケーションのあり方を見ることができる。水木しげるの描くお化けや妖怪たちは、人間の生や自然界の説明しがたい領域に形を与える役を演じている。いわゆるアニミズムの思考である。人間の欲望や自然界の驚異は、時として安易な説明を拒むものだ。私たちが生きる世界は、説明のつかない、目に見えにくいモノやコトであふれている。しかし、実はそうしたモノやコトは、われわれの人生や世界に豊かな厚みを与えてくれているのだ。だから安易な説明を拒むモノやコトと対話し共生することは、生きることの豊かさや可能性につながっている。妖怪たちの活躍にワクワク、ゾクゾクしながら見入っている子どもたちは、すでに自分たちを取り巻いている「もうひとつの世界の層」と身をもって交感しているのだ。

▼いま、社会の目が少しずつ感性へと向かっている。効率や機能をひたすら追い求めた結果、人はさまざまな不安や病理を抱え込むようになった。人はそれが科学技術や合理主義への盲従によってもたらされたことに気づき、それを乗り越えるために感性というキーワードに目を向けはじめたのだ。大人の世界と同じように子どもたちの生き方や人間関係も硬直しつつあるとすれば、ミュージアム・エデュケーションに寄せられる期待は大きい。

 

(坂元一光)
 
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