Browse
立ち読み  
編集後記  第57巻8号 2009年8月
 

▼本誌2007年9月号の特集は「キレる子ども」であった。その編集後記を担当した筆者は次のように記した。
 「『キレる子ども』の背景には、『キレやすい』大人や家庭、さらには『キレやすい』社会、国家も関わっているかもしれないが、それらの関係はなお改善する余地も残されているということである」
 同特集に「キレる子どもの背景」と題する論文を寄稿した岩崎久美子氏(国立教育政策研究所)も、「キレる子ども」の問題は、個別には家庭のなかの人間関係から解決を目指していかざるを得ないが、どのような家庭であっても、それを凌駕できる環境を社会が呈示できること、また子どもの社会化を促す機会を社会が保証してゆくことを提言し、社会の果たすべき役割を示唆した。

▼それからわずか2年足らずのうちに、今月号は「キレる大人」の特集である。今回取り上げた「キレる大人」の具体例のひとつが、医療機関とトラブルを起こす患者、いわゆるモンスター・ペイシェントである。こうした現代人のモラル低下の問題について、本誌は繰り返し特集を組んできた。例えば、最近でも「私たちの規範意識を問う」(2008年4月号)、「迷惑行為について考える」(同6月号)、「迷惑行動をなくすには」(同10月号)等がある。いずれの特集でも、家庭や地域社会における人と人のつながりがキレやすくなりつつあることが、モラル低下と迷惑行為増加の背景にあるのではないかという点で、識者の見解は一致している。

▼一方、モンスター・ペイシェントの問題は救急医療の現場の苦悩の一端に過ぎない。実は、医療費抑制政策と医療に対する国民の過剰なまでの期待の軋轢によって現場の医療従事者は過酷な労働を強いられており、その多くは堪忍袋の緒がキレかかっている。その挙げ句、医療現場を支える様々なつながりがとうとうキレてしまうと、医療崩壊が起こる。
 また今月号の特集では、「キレる大人」として「子どもに対してすぐキレやすい」と悩む母親の育児ストレスも取り上げた。こちらも、育児を支えるべき家庭や地域の機能が弱体化しつつあることが関係していよう。

▼以上のように、ひとくちに「キレる」といっても、その中身は色々である。その背景には一言では済まない多くの複雑な問題が横たわっている。皆で額を寄せ合ってひとつ真剣に考えてみなければならない。にもかかわらず、「キレる」と言ってしまえば、それでよしとする安易な風潮があるのではないだろうか。胸のなかのモヤモヤした鬱憤を適切なことばで表現して相手に伝え、向こうの意見を聴かなければならないものを、「キレる」の一言だけでは、対話は文字通りキレてしまう。「キレる」ということばの流行は、こうした現代人のことばを伝える能力の衰え、そして人と人とのつながりの薄さを象徴しているように感じられる。「教育と医学」の編集委員も、むやみにマジギレせずに、豊かなことばを読者の心に伝えたい。

(黒木俊秀)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2009 Keio University Press Inc. All rights reserved.