Browse
立ち読み  
編集後記  第57巻7号 2009年7月
 

▼今月号の特集は「子どもを犯罪から守る」と「親子で楽しむ夏休み」である。極めて当然のことでありながら、子どもを守ってやれなかったり、夏休みが楽しくないことが多くなったために、このようなテーマが必要となった。  現代社会は大人にとっても子どもにとっても便利さや快楽さが多くなったが、反面、危険も多くなった。機械や薬品による身体的危険ばかりでなく、社会的、精神医学的危険も多い。特に、子どもを犯罪の危険から守るということは、基本的に子どもの安全・幸せとは何か、子どもの身体的精神的健康とは何かということについて、一定の見識を持たなければならないということである。

▼子どもの安全と幸せを守るためには、小児医学の発達はもちろん、玩具の安全保障からインターネット情報の健全化など、多面的な配慮を必要とする。特に、犯罪から子どもを守るとなれば、対処療法的な方策より以上に、子どもの人権を尊重する思想や態度の形成が前提であろう。これには時間がかかる。子ども同士のいじめが一部では深刻であるが、いじめの予防にも、日頃からの人権教育が必要である。人権教育には、必ずしも華々しい百点満点の成果が得られるとは限らない。人間性の弱さやみにくさを互いにいたわる配慮から、犯罪を未然に防ぐ知恵が育まれなければならない。

▼親子で楽しむ夏休み、という表現には、いかにも平和的な家庭生活の一面がしのばれる。現代日本において、具体的にはどんな親子の楽しい夏休みがあるのだろうか。
 戦後育ちの筆者には、親から昆虫採集に連れて行ってもらった記憶はないし、プール遊びをしてもらったこともない。また、我が子をそんな遊びに連れ出したこともなかったかもしれない。現代の若いお父さん、お母さんたちは、子どものためにもっと時間を割いてやっているだろうか。現代の親子の遊びは、昆虫採集にも立派な虫かごや網が使われるであろうし、商品として買い入れた立派な玩具や釣り道具などが豊富に用意されているかもしれない。すべてに物資が不足した戦後育ちの筆者の世代では、野球のバットもボールも手作りだったし、狭い近所の広場が球場であった。町にも田舎にも子どもたちの姿があふれていた。親は背景から見るだけで、子どもの世界には「上級生」の指導で、遊びの技術が伝承されていた。夏休みといえば、少年たちは川で精いっぱい泳ぎ、朝夕には魚獲りに熱中する毎日であった。当時、「夏休みの友」という宿題があったが、いつやっていたのだろうか。

▼家庭でも地域でも、また学級でも数少なくなった現代の子どもたち。子どもを犯罪の対象とする人にも子どもはいるだろう。あの子もこの子もみな社会の宝。小さな子も大きな子もみなかけがえのないみんなの宝として、大切に慈しみ育てられよ。

(丸山孝一)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2007 Keio University Press Inc. All rights reserved.