Browse
立ち読み  
編集後記  第57巻9号 2009年9月
 

▼今年の夏は、日本国内で久しぶりに皆既日食を観察できるチャンスだった。私が暮らす福岡では部分日食であったが、研究室で仕事をしていた私は、10時30分くらいから外が薄暗くなり始めると、居ても立ってもおられず、渡り廊下に繰り出し、日食観測めがねを通して、太陽の上部が月の陰に隠れていく様子を無心に眺めていた。キャンパスのあちこちから、学生たちの歓声とも溜め息ともつかない声が聞こえてきて、「なぜこんなにも皆、引きつけられてしまうのだろう」と自分の熱狂は棚に上げて、不思議に思うことだった。

▼子どもの頃は、何でも不思議に思えたものだ。お盆の墓参りの帰路、父の運転する車の窓から夜空を眺めつつ、「まるでお月さまはずっと一緒に走っているみたいに同じところに見えるのはなぜだろう」と不思議に思ったことを思い出す。他にも、打ち上げ花火のあの美しい彩りはどのようにして作り出されるのか、なぜ虫たちは熱いのにたき火の中に飛び込んでいくのか、子どもの頃に不思議に思ったことは、例をあげ始めるときりがない。

▼「なぜ?」と思い、その答えを追い求めるところに、科学の楽しさはあるといえるだろう。雲や星は落ちてこないのに、リンゴが木から落ちるのはなぜだと考えたというニュートンの逸話には、そんな科学の面白さの本質が宿っているように思う。

▼また、疑問に感じることへの答えを、誰もが納得するような根拠を添えて示すところにも科学の面白さはある。アリストテレスは、月食の際、地球が月面に作り出す影が必ず湾曲していることに着目して、地球は球体をしているに違いないと推理している。自分が踏みしめているところからずっと続いていく大地は、全体として果たしてどんな姿をしているのか? 自らが宇宙空間に飛び出さなければ確認することができないことを、地球上にいながら、しかも皆が確認できるような証拠に基づいて論じたのである。
 お風呂に浸かりながら、水中の物体は、その物体がおしのけた水の質量だけ軽くなる原理に気づいたアルキメデスが「エウレカ!(eureka:「見つけた」という意味の古代ギリシャ語)」と叫んだ興奮は、科学の面白さに引きつけられた人々が、世界中で、時を超えて今でも経験しているものである。

▼今月号の第1特集は、「子どもを引きつける科学の面白さ」であった。子どもたちを取り巻く世界は、まだまだ不思議なことに満ちあふれているはずだ。そんな不思議と子どもたちが素直に向き合って、科学する楽しさを味わってもらいたい。

 昔の人々は、どうやって地球を一周したときの距離を知ることができたのだろうか。あっさりパソコンで調べるという手もあるが、古代ギリシャの学者たちのように、自分の頭だけで考えて見るのも面白いはずだ。それにこそ科学の醍醐味がある。

(山口裕幸)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2009 Keio University Press Inc. All rights reserved.