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立ち読み  
編集後記  第57巻2号 2009年2月
 

▼一時期「KY」ということばが流行った。「空気が読めない(人)」の意味であり、当時の首相の独りよがりな言動を若者(女性)たちが評したのが始まりらしい。ここでの「空気」とは、その場に居合わせた人々が共有する「ある了解」としての「雰囲気」のことであり、日々の暮らしを円滑に営むうえでこうした見えないサインを読み取ることの大切さをあらためて考えさせられたものである。  場や他者が表わすさまざまなサインを上手に読むことは、日々の生活を送るうえで大切なスキルである。そして相手が子どもの場合、こうしたスキルはさらに重要になる。とりわけストレスや問題を表わすサインの場合、それらの的確な感受と読み取りは子育てや教育の行方を大きく左右する。

▼言語表現のスキルが未発達な幼い子どもの場合、大人はまずその感受の回路を多岐に準備しなければならない。例えば、発熱、おねしょなどの身体的サイン、多動、爪かみなどの行動的サイン、かんしゃくなどの感情的サインなど、さまざまな非言語的サインを的確に感じ取る幅ひろい回路の準備が必要である。 一方、サインそれ自体に対する感受の幅を広げることも大切だが、子どもを取り巻く環境やその変化への注意深い目配りも重要である。なぜなら、子どもはなによりもまず、具体的な場と環境に埋め込まれた存在としてあるからだ。

▼かのシルクロードの地で聞いたウイグル族の小学1年生の話である。 小学校に入学したばかりのT君に突然異変が起こった。T君が「学校で耳が聞こえない」と両親にうったえたのだ。おどろいた両親はすぐに病院に連れていったが、医者は耳には問題ないという。あらためてT君の話を聞いた両親はようやくそのわけを理解した。 ウイグル語で育ったT君が入学したのは漢族の子どもを中心とする学校であり、そこで話される漢語がよく理解できなかったのだ。ウイグル族は砂漠のオアシスを拠点として長く独自の暮らしを送ってきた。今は中華人民共和国の版図のなかに取り込まれ、生活のさまざまな場面で漢民族との共存を迫られている。両親はT君の将来を考えて、中国の共通語である漢語で学ぶ学校に入学させていたのだ。多民族社会ならではの小1プロブレムの例といえよう。

▼エピソードのきっかけとなったT君の訴えは、その不完全な言語表現ゆえに一種の非言語的サインに近いものとなっている。メッセージやサインの理解は、それが非言語化すればするほど、発せられた文脈への配慮が重要になる。 T君の例は、言語表現であれ非言語的サインであれ、その正しい理解のためには子どもを取り巻く環境や生活の変化にもしっかりと目を配ることの重要性を物語っている。大人は子どものさまざまな非言語的サインにたいする感度を高めるだけでなく、子どもが置かれた場や状況に即してそれらを読み取る心構えも大切なのだ。

(坂元一光)
 
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