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編集後記  第56巻5号 2008年5月
 

▼外傷後ストレス障害(PTSD)という病名が精神医学の世界に初めて登場したのは、1980年発表の米国精神医学会の診断分類DSM-IIIである。これは、当時の米国においてベトナム戦争の帰還兵が復員後も長年にわたって様々な精神的後遺症に苦しむことが報告され、その救済が社会的関心を集めたことが発端である。それ以前にも、二度にわたる世界大戦の後には激しい戦闘に参加した兵士にみられる精神障害として、戦争神経症やシェルショックと呼ばれる疾患が報告されていた。今日のPTSDとほぼ同じ病状と考えられている。
▼わが国では、本誌の編集委員であった桜井図南男氏がかつて軍医として応召した際、戦時下の陸軍病院における兵士の精神的異常について詳細に観察した報告を残している。そのなかで氏は、一兵士の内面において非常時の国家、社会に対する意識と個人的利己的な意識との間で激しい葛藤が生じるために、様々な精神の変調が誘発されると考察している。わが国の軍人将兵には戦争神経症はないとされ、病因は個人の素質のみに帰せられていた当時としては、画期的な見解であった。
 後に桜井氏は心の病全般の病理について、次のようなことを語っている。
 「身体的な基盤は、現在のところ、明らかにされているわけではないが、それ自体は社会的な影響を受けて変化するものではないと思う。しかし、これに対応する独特な心理機制によって具体的な症状が現れてくるのであるから、その症状は社会的な条件、すなわち、その社会における道徳、規範、行動のパターン、個人の存在のあり方、ストレスの状況など、さまざまな条件に応じて、その現れ方を変えるものであろう」
 すなわち、心の病理の本質を、個人とその人が置かれた状況との関係性のなかに見ようとしたのである。
▼本号特集の巻頭随筆において中井久夫氏が書かれているように、わが国でPTSDの病名が一般にも知られるようになるのは、1996年の阪神淡路大震災以降のことであるが、震災の直後に氏が邦訳されたジュディス・ハーマン氏の『心的外傷と回復』(みすず書房)の影響に負うところも大きい。同書の末尾において著者は、治療の開始時には他者との関係のなかに日々生き続けることをひどく負担に感じていた深い「心の傷」に苦しむ人々が、やがて治療の終わりにくると、他者との積極的な関わりのなかでトラウマは乗り越えられることを学び知る、と述べている。
▼桜井氏、ハーマン氏の指摘は、いずれも教育のあり方が個々人にどう影響を与えるのかを考える際にも、多くの示唆を与えるように思われる。個人とその身近にあるものとの関わりのなかで教育の真価もまた問われるのであろう。戦争末期の一教師の発言を今も感動とともに想い起こすという中井氏の随筆に、いつの時代、いかなる状況下にあっても教育者としての関わりはなしうるという希望を見た。

(黒木俊秀)
 
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