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編集後記  第56巻4号 2008年4月
 

▼「不登校」の問題は、現象としては“学校に登校していない”状況を示すが、事はそれほど単純ではない。A君は、小学校高学年時から学校に行けなくなってしまった。クラスにうまくなじめないという。ただうまくいかないのではない。“心遣い”が裏目にでてしまうのである。
 給食をもらいに列に並んでいたときに、隣の女児に順番を譲ってあげると後ろの男の子に「おまえがトロいからおかずが少なくなった」とののしられた。味覚の過敏性があってどうしても給食が遅くなる。全員が食べ終わらないと昼休みにクラスのみんなが遊べない。必死に食べ終えて食器をかたづけても「何で汚く食べるのか?」とどなられる。移動教室では「危ないから走るな」という教師の指示を頑なに守り、体育館の入り口でゆっくりと上靴を履き替えていると、後ろから突き飛ばされ、「早くいけ」と踏みつけられる。元来、感謝されたり、誉められるはずの心遣いや配慮がことごとくなじられて、A君は学校でどのように振る舞えばよいのか分からなくなってしまった。結果、「不登校」である。
▼Bさんは、6年生で学校にいけなくなった。お笑いブームの波に乗って自分もクラスの“人気コメディアン”になるべく努力した結果であった。それまであまり経験できなかった、自分に向けられるクラスメートの“笑顔”を見たかったのである。一生懸命、お気に入りコメディアンの真似をする。授業中も休み時間も、きっかけを一生懸命探して「そんなの○○ねぇ!」を繰り返す。はじめは笑ってくれていたクラスメートは、だんだんと“おもしろがって”、「もっとやれ」とはやし立てる。Bさんの頭の中は、いつ「そんなの……」を言うかのきっかけ探しでいっぱいになって、結局疲れ切って教室に入れなくなってしまった。
▼Cくんは、知的障害特別支援学級に在籍していたが、中学時代ほとんど学校に行けなかった。彼は、自分がどういう“存在”なのか、クラスメートと自分を対比してみる中で自分のアイデンティティを見定めることができなくなって、学級という場を、“積極的に”避けたのだった。
▼「不登校」は“学校不適応”と呼ばれるように、能力や気質が“学校になじまない”として、その理由を本人に帰属して語られることが少なくない。しかし、本人は、ただ不適応の状態にあるのではなく、過剰に適応の努力をしていたり、意図的に自ら「不登校」を選択していることがある。とりわけ、これら3人のように“発達障害”をもつ子どもたちは、学校になじむためのとてつもない努力の結果として、“不登校”となってしまっていることを忘れたくない。
 動き回ってじっとしていられない、柔軟性が欠けている、場の雰囲気が読めないなど、ネガティブなことばで語られる子どもたちの心性の背景に、「そうしないと学校の中に居場所を見つけられない」という涙ぐましい事実があることを私は子どもたちから教えてもらっている。

(遠矢浩一)
 
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