Browse
立ち読み  
編集後記  第55巻12号 2007年12月
 

▼私の友人で、かなり方向感覚の怪しい人がいる。はじめは冗談かと思っていたら、本当に方向感覚が「普通」ではないことがわかって驚いたことがある。そんな人は自覚症状があるらしく、知らない土地ではあまり冒険はしないようである。「地図を読めない女性……」というような本もあるらしいが、本当だろうか? 土地勘とか方向感覚は学習によって形成できないのだろうか? 本号では、非言語性学習障害を特集としているが、方向音痴も考慮の対象になるのだろうか?
▼そういう私自身の方向感覚もときどき怪しいことがある。特に、夜、しかも雨でも降っていたら、私の方向感覚は全くだめになってしまう。そんな経験を外国のある町で経験した。その日、家族3人を連れてレンタカーで外出し、帰りは夜になり、雨が降ってきた。ホテルに帰るのにだいたいの見当はついていたのだが、完全に間違って、同じところを何回もぐるぐる回っていることに気がついた。地図は暗くてよく読めないし、第一、方角が判らない。昼間なら太陽の光と影によって動物的方向感覚が冴え、迷うことはないのだが、雨の夜では、道路標識すら見えにくい。今のようなナビゲーションなど、夢にも望めない時代のことだ。夜でも晴れてさえいれば、いっそ海上でさえ、星座や月を見て船を漕ぐことだろうに。
▼音の感覚はどうだろう。生得的に音痴であることを自認する人もいるが、専門家によれば、訓練によって音痴は治るという。一小節は正しく歌えても、少し長くなるとふらふらして、音感の座標軸が揺れてくる。しかし、他方では絶対音感を持つ人々がいる。こんな人から見れば、「普通」の人は、なぜ正しい音がとれないのだろうかと言うだろう。絶対音感は訓練によって獲得できるものだろうか? それともそれは天が与えた特別の才能だろうか? もし、絶対音感が習得できる人とできない人がいるのだったら、後者の場合、やはり非言語性学習障害なのだろうか?
▼言語によって正確な意思の疎通ができるのは、人間のみが得意とする素晴らしい能力で、これによってわれわれは論理的思考を発達させ、文字を作って歴史的事実を書き込んできた。これは人間にシンボル操作の能力があるから可能なのだが、非言語領域にもシンボル化は進んでおり、「筆舌に尽くしがたい」感性の共感をどう互いに確認し合えるのだろうか。
▼1973年以来、教育と医学の会の理事を務められた綾部恒雄先生が、去る8月6日、ご逝去されました。ご承知のとおり、文化人類学者としての先生は、本誌のために多くの優れた論考を寄稿してくださいました。われわれの知見を広め、感動を与えてくださった先生に心から感謝すると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

(丸山孝一)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2005 Keio University Press Inc. All rights reserved.