日本文学史を読みかえる、俊英による革命的な文学論。
▼近代から現代に至る文学の「視覚性」に注目し、日本に脈々と流れる「曖昧」の系譜を辿ることで、「意志」をめぐる近代の激しい攻防をあぶりだす。
▼映画や写真など、テクノロジーの革新による「視覚性」の新たな編成が要請された近代以降、日本文学において、柄谷行人が、その端緒を「風景の発見」と述べたように、視覚性=認識、すなわち「内面」の問題が、大きな関心事でありつづけた。 しかし、本書で探求されるのは「風景」や「近代的自我」や「主体性」ではなく、「不安」、「夢見」、「朦朧」、「言い間違い」といった、「曖昧」きわまる様態である。
▼正岡子規、夏目漱石、内田百閨A志賀直哉、横光利一、川端康成、大江健三郎を中心にして、近現代文学における「曖昧」の系譜を可視化し、文学史そのものを読みかえるのみならず、日本「現代」文学の起源を突き止めてゆく、大胆不敵な一書。
〜書評のご紹介〜 「現代の日本文学を、「意志薄弱」を中軸に置いて論じ直すことにより、これまでの一般的な文芸観を百八十度転回させた極めて革新的な研究」 「系譜的文学史研究としても、近代文芸様式論としても、これは非常に優れた研究書である。」 (中村三春氏『日本近代文学』第96集) 「面白い。学術書や評論書にこのような評を行うことが適切なのかどうかは分からない。しかし、読んで興奮を覚えたのだから、正直にそういうべきだろう。」 「「視覚」モデルで構築されてきた「近代的人間」そのものに対置するような、別種のあり方(ポストヒューマン?)にまで踏み込もうとしている小気味良く壮大な本である。」 (藤田直哉氏『比較文学』第59巻)
日本文学 2017年8月号「書評」(p.76)に書評が掲載されました。評者は、一柳廣孝氏です。
日本近代文学 第96集に掲載されました。評者は中村三春氏です。
比較文学 第59巻「書評」(P.177)に掲載されました。評者は藤田直哉氏です。
序 章 「曖昧未了」から「意志薄弱」まで
第一部
第一章 運動する写生 ―― 正岡子規と映画の論理 一 「起源」としての一八九六年 二 活動写真の時代 三 「写生」の二面性 四 「活動」の原理 五 「曖昧未了」の美学 ―― 余韻から運動へ 六 写生的認識とモンタージュ 七 夢の〈推移〉の理論へ
第二章 催眠、あるいは脳貧血の系譜 ―― 夏目漱石から志賀直哉へ 一 催眠術言説の成立 二 漱石文学と催眠現象 ―― 〈夢見〉 ……
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坂口 周(さかぐち しゅう) 1977年東京都生まれ。福岡女子大学国際文理学部専任講師。 早稲田大学卒業後、2001年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2003年英国・ロンドン大学ゴールドスミス校大学院修士課程メディア&コミュニケーション専攻修了。2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。津田塾大学学芸学部非常勤講師、中国・広東外語外貿大学外籍教師、実践女子大学文学部助教を経て、現在に至る。「運動する写生 ―― 映画の時代の子規」で2014年第57回群像新人文学賞(講談社主催)評論部門優秀作。
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