▼福澤諭吉から丸山眞男へ
思想家たちが擬制fictionの論理によって構成した、さまざまなる「自由な主体」。 それらの理論的強度を精緻に検討し、近代日本における政治的言説の存立条件を明らかにする。
「擬制fiction」という思考の技術は、近代日本の政治思想の担い手たちに、自由、平等、あるいは自治を権利として主張し守る主体を理論的に構成する新たな途を開いた。するとそこには、彼らが生きたそれぞれの時代相に密接に関わるさまざまな思想と、それらのせめぎ合いとが生まれた。侵害されてはならない権利主体は個人か集団か国家か。政治的共同性を可能にする集団的な価値や感情をどのように捉え、あるいは構想するか。そして、そもそも人々は自由になるべきなのか。こうした問いへの、福澤諭吉、中江兆民から丸山眞男にいたる思想家たちの見解とそれら相互の対立を精査。自由な主体の共存という課題に、不安におびえつつ、しかし果敢に応えようとした彼らの、豊かな理論的成果だけではなく方法的な失敗や視野狭窄をも明らかにする。日本における、擬制の論理の達成と隘路とをともに描き出す、待望の論文集。


政治思想研究(発行:政治思想学会) 第17号(2017年5月)に書評(p.474)が掲載されました。評者は、河野有理氏です。
読売新聞 2016年9月18日(日)に書評が掲載されました。評者は牧原出氏(政治学者、 東京大学教授)です。

凡例
序
第一章 「東洋的専制」の運命から逃れられるか? 一 問題の所在 二 「水土」論 ―― 地形と「仁愛」 三 良好な「水土」ゆえの危機 四 「東洋的専制」概念の導入 五 多元性の欠如という批判の導入 六 「日本国の天職」と「亜細亜の日本」
第二章 「義気」と「慣習」 ―― トクヴィルのモメント 一 問題の所在 二 「義気」とパブリック・スピリットの解釈 ―― 福澤諭吉 三 自発的かつ扱いやすい「自治」 ―― 大森鍾一 四 「封建」と ……
著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
松田宏一郎(まつだ こういちろう) 立教大学法学部教授。法学博士(東京都立大学)。日本政治思想史専攻。 1961年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。 著書に、『江戸の知識から明治の政治へ』ぺりかん社、2008年、『陸羯南 ―― 自由に公論を代表す』ミネルヴァ書房、2008年、『후쿠자와유키치다시보기(福澤諭吉再見)』서울(ソウル):아포리아(アポリア)、2016などがある。
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