本書は詩人パウル・ツェランの、日本では初めての評伝です。
パウル・ツェラン(1920〜1970)は、今日では20世紀ヨーロッパの最高峰に属する詩人の1人として揺るぎない地位を獲得していますが、日本の読者にはまだ十分に浸透していないのではないでしょうか。その詩はあまりにも難解だからです。
本書は、その難解な詩に初めて接する人にもわかりやすく、彼の生涯を素描し、作品の背景と内容を解説しています。その際、最新の資料を存分に駆使し、ツェランの友人諸氏に行ったインタヴューの成果も生かされています。
執筆に際し、特に留意したのは次の2点です。
ツェランの生涯を12の章に分け、それぞれの時期に書かれた重要な詩の一部から(あるいは多少アレンジして)タイトルをつけました。12という数字は、ツェランにとってさまざまな象徴的な意味を持ちますが、その1つは時計の円周運動、ある完結を暗示します。さらにそれは詩論「子午線」とも重ね合わせながら、あらゆる対立概念――「私」と「あなた」、言葉と沈黙等――を結びつける言葉の筋道そのものでもあります。
この円周運動には常に遠心力と求心力が作用していますが、遠心力は多くの友人・知人との対話を通して、とりわけ妻と息子との生活を通して、生を拡張しようとする「明」の側面を持ち、求心力は、最愛の母を初めとする強制収容所で亡くなったユダヤの同胞たちへ近づこうとする、「暗」の側面を持っていました。結局彼は、自ら死を選ぶことによって、生の円環を締めくくるのです。本書で、円のモチーフを扱った詩を多く取り上げ、その背景を考察したのは以上の理由によります。
次に、ツェランにとっての「母」なるものを絶えず念頭に置きながら、本書を書き進めました。
ツェランにとって母は、幼いときから特別の存在であり、ふたりは共通の趣味である文学を通して精神的にも強固な絆で結ばれていました。しかし42年、両親はナチスによって収容所へ連行され、ツェランだけが難を逃れます。その冬、強制収容所の母から、奇跡的に1通の手紙が彼のもとに届きました。そこには、父が死んだこと、また寒さと虐待から身を守る布が欲しいと書かれていました。その母もまもなくナチスによる「うなじ撃ち」によって殺されます。結局、母に届けることができなかった布を、ツェランは詩を書くことによって、言葉の編み物として母に送り続けます。これ以降、彼が書くすべての詩は、亡き母に捧げられる「織物[テクスト]」となったのです。
そして母よ、あなたは昔のように家で、
あのやさしい、ドイツ語の、痛々しい韻に耐えているのですか?(「墓の近く」)
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母のイメージはツェランの多くの詩に現われます。現存する彼の最初の詩は、16歳の母の日に書かれた詩でした。最近の研究では、有名な「死のフーガ」も「母の墓碑銘」として書かかれていたことが明らかになっています。さらに本書でも詳しく述べられる「ゴル事件」(ツェランが濡れ衣を着せられた剽窃疑惑)が紛糾する59年、母への思いを吐露した「オオカミ豆」という101行にも及ぶ長い詩が、最近になって遺稿の中から発見されました。これは母フリッツィが「羽団扇[はうちわ]豆」を、流布していた外来語「ルピナス」とは呼ばず、そのドイツ語への借用語である「オオカミ豆(Wolfsbohne)」と呼んでいたことを起点にして、懐かしい母への思い出やゴル事件での苦悩を素直に吐露した詩です。
お母さん、彼らは黙っています。
お母さん、彼らは卑劣な奴らが僕を中傷するのに、見て見ぬふりをします。
(…)
お母さん、なんと多くの
よそよそしい土地があなたを実らせていることか!
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難解な詩ばかり書いていた彼の真意が、実はどこにあったかを窺わせる貴重な詩です。20回も繰り返される「母よ」という呼びかけが、読者の心を「痛々しい韻」のように打ちます。ここにツェランにとってのドイツ語の二重性――最愛の母から受け継いだ、かけがえのない、いとおしい「母語」であると同時に、その母を殺した、よそよそしい、「殺人者(オオカミ)の言語」――が浮き彫りにされています。
このように母のイメージを手がかりにすれば、難解に思われたツェランの詩の謎が、極めてわかりやすく、身近に感じられるようになるのです。
本書をひとりでも多くの読者がひもとき、痛々しくも、比類なく美しいツェランの詩の世界に踏み入られること祈ってやみません。
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